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介護日記・施設拡大中

介護日記・施設拡大中 投稿私小説

雪女伝説

B.C.2117年12月14日 「おじいちゃんも亡くなったし、むかし愛した人のお話しをしてあげるわね。 いまの時代から400年ほど前の、そう日本ではちょんまげを結ってた時代ーー」 雪は、孫たちに話を始めた。 ある東北の山の中腹。あたり一面は吹雪で真っ白だった。 広紀は吹雪を避けようとして、山の中をさまよい歩いた。 広紀は猟師で、小さい頃から父親と山歩きしていてこの山の事はよく知っている。 だが、さすがの広紀も、この猛吹雪は初めての経験だった。 (今すぐ隠れ場所を見つけないと、ーーー俺は死んでしまう)   すでに足は感覚がなくなり、踏み出すかんじきは石のように重く感じた。 (もうだめかーー?)そう思った時、広紀は目の前に見覚えのある洞穴を見つけた。 それは小さい頃、父と山歩きをしていた時に見つけた、この山の山腹にある洞穴だった。 「いいか、広紀ーーこの洞穴には絶対に入っちゃだめだ。 中には恐ろしい魔物が住んどるから」   父にそう言われた事を思い出したーーーでも、今はこの洞穴に隠れて吹雪を避けないと凍え死んでしまう。 迷っている暇などない!広紀は意を決して、鉄砲を構えながら洞穴の中に入った。 (もし、魔物が出て来たら撃ってやる!) そう思いながら、火縄を取り出して火を点けて準備した。 火縄の薄明かりに照らされた洞穴は、今まで見たことのない綺麗な半円形だった。 床も壁も何だかつるつるした石でできているようだった。 壁を触ってみると、石と言うよりも、まるで磨いた鍋のような手触り。 そうして、広紀が洞穴の奥の方に目をやると、何か光っているのが見えた。 (ははあ、あれが魔物の眼だーーーさあ、かかって来い!) 広紀は火縄を鉄砲の中に仕込んだ。 けれど、いくら身構えて待っても、その眼は広紀に襲い掛かっては来なかった。 (妙だな?魔物の奴、動こうともしないーー)   不思議に思った広紀は、鉄砲を構えながら、一歩一歩慎重に光る眼に近づいて行った。 (よしっ!今だ!) 鉄砲の引き金を引こうとした広紀は、びっくりしてひっくり返りそうになった。 火縄の薄明かりに照らされた先には、若い女が倒れていた。 光は女の服が出していたのだった。 それは今まで見た事もない美しい女だった。 妙な事に老人なのか?髪の色は紫色なのに顔は若々しく、身体にはさらに白い衣装を纏っていた。   そっと触ってみると、その衣装はまるで絹のようにスベスベした手触りがする。 だが女の身体は冷え切っていた。   広紀はあわてて女の手を取った。 血管の脈拍が弱くなっているーーこのままでは死んでしまう。 助けてやらねばならない。 女を抱き上げた広紀は洞窟の入り口へと急いだ。 外を見ると吹雪は少し小止みになっていた。 どこをどう走ったのか覚えていないほど、広紀は必死になって女を抱えて山を降りた。 麓の小屋に帰って来た広紀は、取るものも取りあえず火を燃やして、身体を暖めるために囲炉裏端に女を寝かせた。   一晩中寝るのも忘れて、女の手や足をマッサージしている内に、疲れきった広紀は寝てしまった。

ふと目が覚めると、夜が明けていて、女が不思議そうな顔をして広紀を見ていた。 「おお!良かったーー生き返ってくれたんだ」 広紀は嬉しそうに言った。 「ここはどこですか?」 女は広紀に聞いた。 「安心してくれ、俺の家だーあなたが洞穴の中で倒れて死にそうになってたんで、 運んで来たんだ」 「私を助けていただいたんですか?」 「ああ、おれが見つけなかったら危ない所だった」 「助けていただき、ありがとうございます」 女は身体を起こそうとしたが、よろめいた。 「あっ!まだ無理してはだめだーーーじっと寝てろよ。今、暖かい雑炊作るからな」 そう言って女を寝かした広紀は、簀の子から鹿の干し肉と乾いた山菜をとって、 囲炉裏にかけた鍋に入れた。 出来上がった雑炊を椀に取り、口で吹いて手頃な温度にしてから、 サジで女の口に運んでやった。 「どうだ、口に合うかい?」 広紀が心配して尋ねると、女はこっくりとうなづいて言った。 「ご親切にしていただき、ありがとうございます」 「なあにーーー困った時はお互い様。気にしなくていいよ」 動物を狩る生業の猟師とは言え、広紀は気性のやさしい男だった。 広紀の作った雑炊を食べた女は、少しばかり落ち着きを取り戻した。 そう言えば、広紀は女を助けるのに必死で、まだ彼女の名前も聞いていなかった。 「おれ、広紀って言うんだが、あなたは何んて名前?」 「はい、雪と言います」 「雪さんか、良い名前だーー、何処からきた?」 広紀にそう問われた雪は、困ったような顔をして戸惑っていた。 「あ、いいよーーいいよーー無理に思い出さなくても」 (死にかかってたくらいだ。きっと記憶を無くしてしまったんだろう) (立派な衣装着てる所を見ると、どっかの大店の娘か、庄屋の娘さんなんだろうな) (山に遊びに来て、誰かと逸れて迷っちまったのか? ーー若いのに髪が紫なのは、大病を患ったせいかもしれない)  広紀はあれやこれやと想像しながら雪の事を考えた。 「あのーー私」雪はちょっぴり不安そうな顔をして広紀を見た。 「ああ、心配しなくていいよー雪さんの身体が良くなるまで、おれはむこうで寝るから」 「はい、済みません」 こっくりうなづく雪に、広紀はそっとやさしく布団を掛けてやった。

広紀の懸命な世話のおかげもあって、雪の身体はすぐに回復して行った。 だが、雪は自分の名前以外は何一つ思い出せない様子だった。 それでも、動けるようになった雪は、あれこれと広紀の手伝いをしてくれた。 笑顔を見せながら一緒に働く雪を、広紀はしだいに好きになって行った。 (いけない、いけないーーこんな貧乏な猟師と、金持ちの娘さんでは身分が釣り合わない) (早く雪さんを里に帰してやらないとーーそうだ!明日、町に下りて、誰かに雪さんの事を聞いてみよう) 翌日、広紀は山で獲れた毛皮を担いで、山腹の小屋から町に下りた。 そうして、毛皮を売る道すがら雪の素性を尋ね歩いた。 けれども、誰一人髪が紫で、肌が白い娘を知っている者はいなかった。 すっかりあきらめた広紀は、新しい鉄砲を買って帰る事にした。 広紀の持っている鉄砲は、もうすっかり古くなってしまっていたからだ。 ところが鉄砲屋を探している内に、広紀は偶然、一軒の飾り細工の店を見つけてしまった。 その店先には高価な珊瑚でこしらえたそれは見事に美しい髪飾りが並べられていた。 広紀は思わずその髪飾りを手に取ったーーだが、髪飾りには鉄砲が買えるほどの値段が付けられていた。 (鉄砲なんていつでも買える。この髪飾りで雪が喜んでくれれば、雪さえ喜んでくれればそれでいい) 広紀は毛皮を売った金を全部はたいて、雪のために髪飾りを買った。 小屋に帰った広紀は、さっそく買って来た髪飾りを雪につけてやった。 雪はとても喜んで、広紀に抱きついたーーそして、とうとう広紀は雪を抱いてしまった。 ーー広紀はすっかり雪に酔いしれた。 それからの二人は毎晩のように愛を交わした。 広紀の頭の中は、もうすっかり雪の事で一杯になった。 (雪に美味しいものを食わせてやるよ!雪にいい着物を着せてやる!) それまでと違って、広紀は仕事に張り合いが出て来た。 獲物を取るのも雪のため、木の実や山菜を採るのも、何でも雪の事を思ってがんばった。 雪は一生懸命広紀の手伝いをし、炊事や洗濯や小屋の掃除にいそしんだ。 二人は愛し合っていたーー 貧乏ではあったが、それは夢のような生活だった。 (もうどうなってもいぃーーこのまま雪と一緒に暮らしたい)(いやいや、それはいけないーーお里では懸命に雪を探してるに違いない)   広紀の心はいろいろと揺れ動いたーー迷いに迷ったが、どうしても雪と離れたくはなかった。

とうとう、ある吹雪の晩、決心した広紀は雪に告白した。 「あのねーー雪」 「なあに?広紀さん」 「おれと夫婦になってくれないか?」   広紀の言葉を聞いた雪は、一瞬ビクッ!とした。 「おれと雪とではつり合わない事は分かってるが、おれは雪がいないと生きてけない」 しばらく迷っていた雪は、悲しそうな顔をして、意外な返事をした。 「私はあなたとは結婚できません」 「なぜだ?おれが貧乏だからか?身分が違うからか?」 「いいえそれは違います。結婚すると私はあなたを不幸にしてしまうからです」 「そんな事はない!おれは雪に出逢って、初めて幸せを知った」 「あなたは何も知りませんーーこれからの事を」 広紀には雪の言っている意味が分からなかった。 「大変お世話になりました。わたしはあなたが大好きでした。 でも、もうこれでお別れします」 そう言うと雪は小屋の外に出て行った。 「おい、どこに行くんだーー外は雪が降ってるよ」 「洞穴の方に帰りますーーどうぞ私を追わないで下さい」   広紀は雪の後を追おうと思ったが、雪の言葉に身体が萎えてしまって動けなかった。 そうして、雪の姿は吹雪の中に消えて行ったーー 小屋の外には広紀が買ってやった髪飾りが落ちていた。 (やっぱり、死んだ親父の言ってた通り、あれは魔物だったかなーー?)   我に返った広紀は、髪飾りを拾い上げながらそう思った。 それから数日が経った。 広紀は悶々とした日々を過ごしていたーー いくら雪を忘れようとしても忘れられなかった。 (雪を探しに行こうーー例え雪が魔物で喰われて死んでもいぃ一目だけでも雪に逢いたい) そう決心した広紀は、古びた鉄砲を担いで山に入った。 毎日のように、山の中で雪と出逢ったあの洞穴を探し回った。 必死に探した甲斐もあって、ようやく何日目かにあの洞穴を見つけ出した。 広紀は我を忘れて中に入ったーー もう何も怖くはなかった。 ただ雪に逢いたい一心だった。 けれど、洞穴の奥までくまなく探してみたが、どこにも雪はいなかった。 (まあいいーーここで待ってれば、いつかは雪に逢えるに違いない)   広紀は待ったーー暗い洞窟の中で、何日も何日も雪を待ち続けた。 ただ、雪に一目逢いたいその一心で待ち続けた。

春が過ぎ、夏になり、秋を迎え、とうとうまた冬が巡って来た。   あれから一年が経って、雪は再びあの洞穴に来た。 未来に帰ってからも、雪は広紀の事が気になって気になって仕方がなかった。 (せめてあの人がどうしているか?様子だけでも見に行こう)   そう思った雪は、再びタイムトンネルを潜って過去にやって来た。 だが、雪がトンネルの出口で見たのは、髪飾りを握り締めたまま、骨になっている広紀の姿だった。 雪は知らなかった。 ボランティアとして未来から過去に来た雪は、未来人としてのおごりと自信を持って、 この世界で救えそうな人を探した。 けれどもいくら探しても、救えそうな人はどこにもいそうもなかった。 飢饉で人々が死んで行くのも見たし、武士がいくさで斬り合うのも見た。 庶民の惨状に義憤を感じた商人が、幕府に反乱を起こしたのも見た。 人の世はいつも哀しいーー 庶民は多くを望んでいるのではない、ただひと握りの幸せが欲しいだけだ。 なのに、政治家たちは、いつも自分たちの権力や蓄財しか考えない。 「余りにも不幸な人たちが多すぎる。 自分一人の力で、どこまでできるだろうか」そう雪は思った。 雪のいる未来では、スカイネット社よって、すべての人々に幸せが約束されていた。 「残念だけれど、私の力でこの世界の人々を救う事はできそうもない」   自信を失った雪は、タイムトンネルを通って未来に帰ろうとした。 ところが突然の猛吹雪にあって、タイムトンネルにたどり付いた所で倒れてしまった。 たまたま、吹雪を避けてタイムトンネルに入って来た広紀に救われたのだった。   そして、雪はやっと見つけたーーたった一人、この世界で救えそうな人を ーー幸せにしてあげたい人をーー   けれども、雪はその先に待つ広紀の未来を知って愕然とした。   貧乏な広紀は、身篭った雪にせめて栄養を着けさせてやろうと、熊の胆を獲りに山に入った。 だが、古びた鉄砲は壊れていて弾が出ずに、逆に広紀の方が熊に襲われて死んだのだった。 その未来を知っていた雪は、広紀の不幸な死を回避しようとして、想いを振り切って彼と別れたのだ。 それなのに、雪は愛する男を救う事はできなかった。 幸せにしてやれなかった。 雪の思いやりでも、男を救うことは出来なかったのだ。 「知らなかった。広紀さんがこんなことになるなんて」 雪は愛する男の骨を抱いて泣いた。 「これがそのときの髪飾りよ、おじいちゃんには黙っていたけど。 あの洞窟がダムで消えてしまうと聞いて、この髪飾りを一緒に沈めて欲しいの」 歩くことができなくなった雪は、孫たちにそれを託すこととした。 孫たちは教えられた洞窟の近くまで行ってみると、そこは堰き止めた川の水で見えなくなっていた。 「ここから水に投げ込もうか」孫の中で年長者が言った。 皆が首を縦に振ると、水の上にぽちゃんと小さな音が響いた。 サンゴの飾りを最後まで残すようにして、髪飾りは水中に沈んでいった。 「水不足に悩む東北地方で、我が国3,000件目の記念すべきダムが完成しました。 1回目の水質調査を行っているところ、400年前と思われる火縄銃が湖面に浮いているのが発見されました。 とても珍しいものでーーー、持ち手には広紀と刻印されています。 この辺りの山は雪女伝説がある地域ですが、ダム湖により伝説もすべて消えてしまったようです。ーーー」 3D映像が天井に映し出された。 ダム湖を除けば、400年前吹雪で閉じ込められた山腹と変わらない景色が目の前に広がる。 広紀と過ごした数年間が昨日のように思い出される。 「もう私を待たなくてもいいよ、広紀さん。 私の寿命もわずか。 天国で会えるねとサインを送ったの。あなたも返事をくれたのね。 これで思い残すことはない」 雪はそう言いながら息をひきとった。