介護日記・施設拡大中

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ブルームーン探偵団

(冷泉公園)

2015年7月21日21:00

福岡市にある西大橋は那珂川に架かる橋で、天神から続く福岡市の観光名所となっている。 西大橋を過ぎて中洲入ると、様々な色をしたネオンが灯りだす。 山根隆一郎は駐車場に車を停めて、そそくさと待ち合わせ場所の冷泉公園を目指した。 視線の先に、公園の入り口が見えた。 街灯の電球が切れているのか、公園の入り口は暗かった。 しばらく歩くと障害物に躓いた。 人だった。 携帯電話を開いて、液晶画面の明かりを当てる。 倒れこんだまま、ピタリとも動かないセーラー服の姿。 顔の左半分に大きな穴があり、そこから流れ出した大量の血が、周り一面をどす黒く覆っている。 その穴が、左の眼球を抉り出された痕だとわかるのに、隆一郎はそれほど時間を要しなかった。 背後の暗がりから、声がふわりと湧いた。 「オリジナリティー」 隆一郎は後ずさりしたが、女子高生らしき死体に阻まれて下がれなかった。 暗がりから姿を現した人影は、手に鈍く光る何かを握っていた。 「リアリティー」 高 広紀は朝のテレビのスイッチ入れてみる。 どの番組も、昨夜、博多区冷泉公園で起きた殺人事件のニュースを放映している。 「被害者のひとりは会社員、山根 隆一郎さん26歳もうひとりの被害者は県立高校三年生の林 真由美さん17歳」 たかだか殺人事件を、マスコミは大々的に取り上げている。 どうして、殺人事件の被害者は、こんなにも悲劇の主役扱いされるのか。 交通事故で死ぬのと、若くしてガンで死ぬのと、バスルームで足を滑らせて頭を打って死ぬのと、何処がどう違うのか。 何も違いはない。 老衰と自殺。 それ以外の死は、みな、同じことだ。 ついてなかった(アンフェア)。そういうことだ。 そんなことを思いながら、それでも広紀はしばらくテレビを消さなかった。 翌日、広紀の勤める福博出版に、犯人を名乗る人物から小包が届いた。 中身は『ブルームーン探偵団・上巻』いう原稿。 そこには連続殺人事件の詳細と予告、そして 「事件を防ぎたければ、この小説の続きを落札せよ」という要求が。 差出人不明の小包から原稿を取り出すとき、 「アンフェアなのはだれか?」と書かれたしおりがふわふわと舞い降り、コンクリートの床に張り付いた。 直ぐに小包の件は、社内中にひろまった。 「ブルームーン探偵団が、脅迫しているらしい」 そんな言葉を広紀は小耳に挟んだ。 聞き覚えのある言葉だった。 「ブルームーン探偵団!?」

 

上川端町商店街)

2000年7月8日16:00

 石堂小学校教室。 5人の部員が今日のクラブ活動計画を考えていた。 大半は、終業時間が来る事を待っていたと言った方が良かった。 ミステリー部に所属する彼らは、いつも時間を持て余していた。 担当の先生は出産休暇中だったが、ゆとり教育の影響でそもそも教員数が足りない。 代理の教員が来る事はなかった。 とりあえず上川端商店街の探索を誰かが提案し、実行されることになった。 体調不良で、外出を断った1人を残して、山根 隆一郎、佐藤 晋也、野田 毅、相川 輝美の何れも小学校6年生が、出発した。 上川端商店街は、まだキャナルシティが誕生する前。 シャッター通りと迄はいかなかったが、人通りはさほど多くはなかった。 「山根君。ここって何か意味あんの?別に目新しい店が出来たわけじゃなし、学校の往き帰りに通ってるよ」 アーケードの最後まで来ると、ちょっと気が強く、男の子にも物怖じしない相川輝美が発言した。 「違うんだよ。これは僕らが作るミステリー殺人事件の、現場確認さ」 「はあ?何言ってんの、意味わかんねー」 それまで大人しかった佐藤 晋也が口を出した。 「これから学校に帰るまでの風景を、皆んな頭に焼き付けるんだ」 「いやーだよ、べー」 野田 毅が如何にも気に食わないという風に、唾を吐いた。 教室に帰り着くと、書き置きがあった。 「今日は、体調不良で帰ります」 「実はもうミステリー殺人事件の原稿が出来てるんだ。犠牲者は、佐藤君、野田君、相川さん、それに僕、山根。犯人は、今日早退した、スマイルマーク」 「ちゃんと名前呼んであげなよ」気は強いが優しい相川がケチをつけた。 「これには訳があるんだよ。犠牲者は蘇り、スマイルマークお面をいつも付けている子に復讐する」 そう言って、山根は来週のクラブ活動の段取りを皆に説明した。 「ぼくたちは『ブルームーン探偵団』。って言っても知らないかも知れない。 NHKの連続テレビ番組で、再放送みたいだったけど、探偵二人が中心になって難事件を解決していくやつ」 「で、捕まえた犯人はどうすんの?」気の弱い佐藤が恐る恐る聞いた。 「もちろん、僕らが天罰を与える」山根はごく自然にそう言った。 「天罰ーーー」他の3人は声を合わせて驚いた。

 

(地下倉庫)

2015年7月25日22:10

作業は、想像以上に難航した。 無秩序に山積みにされたダンボール。 それらのすべてに、投原稿がびっしりと詰め込められていて、ひとつそれを持ち上げるたびに、高の腰は悲鳴を上げた。 汗がシャツの中を流れ落ちる。 時計を見ると、22時を回っている。福博出版は、今年から経費削減のため、22時以降は空調の電源が切れることになっているのを忘れていた。 「何を、してるんですか?」 振り返ると、地下倉庫の入り口に、町田が立っていた。 「刑事さんーー」 取調室で向かい合っている時より、心なしか、視線が柔らかい。 「ちょっと探し物を」 「探し物?」 「はい。いわゆる持ち込み原稿と呼ばれるやつです。いろいろな人間が、明日の人気作家を目指して、出版社に自作を持ち込んでくる」 「そんなの、いちいち取っておいたら大変じゃないですか?」 「普通は、ボツならすぐに廃棄です。でも、ぼくにはなかなか捨てられなくて。なんていうか、捨てられるとなんか葬られる気がして」 「へええ」 女刑事が、微笑んだ。今の答えのどこが面白かったのか、高には理解できなかった。 「で、刑事さん。なんのご用ですか?」 「ご用って言われると、難しいんですけど」 言いながら、町田は地下倉庫の奥へゆったりと歩いてきた。 「ご迷惑でしたか?」 「いえ、全然。ちょうど、誰かに目撃されたいなと考えていたところでした」 「?、目撃?」 「はい、こんなに汗だくで探し物をしているのに、それを誰も知らないなんて、なんか、損したような気になりませんか?それにーーー」 それにーーあと、どのくらい正直に話すべきか高は迷った。 嘘はつきたくない。今、ここで町田と会えたことが、どれほど高にとって幸運か。 幸か不幸か、町田は、高の言葉を聞いていなかった。 安物のスチールのラックの上に『ブルームーン探偵団・上巻』が置かれているのに気が付いたからだ。 「これーーー」 「その、右肩上がりのプリント、不自然に長い行間、『リアリティー』、『オリジナリティー』のフレーズーーー見覚えのあるような」 「素人の、持ち込み原稿の中に?」 「はい」 町田の行動は早かった。上着を脱ぎ、シャツの袖をまくる。そして、高と一緒に原稿探しを始める。 「私、推理小説って滅多に読まないんですけどーー例の小説の中で、ひとりで部屋で、カタカタとキーボードを打っている男が何度か出てくるじゃないですかーー」 「あー、白い壁の部屋の男」 「ええ。彼が、この事件の犯人なんですよね?」 「一般的にはそうで無いかもしれない。ですが、作者すなわち犯人のプライドの高そうな表現からして、ぼくの直感では彼が犯人だと思います。」

 

(持ち込み原稿)

「ねえ、高さん」 「全部終わったら、ビール飲みにいきません?」 「えっ?」 「もう汗だくで」 いつもなら、最初から焼酎のロックをあおるのだが、今日は生ビールの方が旨そうだ。 「いいですね、ビール」 高が、新たなダンボールのガムテープをはがしながら答える。 「あーーーーー」 「?」 「刑事さん、これーーーだ」 右肩上がりのプリント、不自然に長い行間 、作品名は『ミステリー小説』。 著者名は佐藤晋也。 1枚目に履歴書が付いている。 F大学文学部4年。 サークルは、ミステリー研究会に所属。 日付は2013年10月21日、2年前に投稿されている。 携帯電話が圏外だったので、町田は大急ぎで階段を駆け上がり、地上へと飛び出した。 捜査本部の直接電話は、短縮01に登録している。 折り畳みの携帯を開く。 短縮01を押すより先に、町田の電話がけたたましく鳴り出した。 捜査本部からだ。 こういう偶然の一致には、ろくなケースがないことを、町田は知っていた。 「はい、町田です」 電話の向こうから、刑事部長の声が飛び込んできた。 「殺しだ。ホシは入札の最終期限まで待ちやがらなかった」 「被害者は、予告通りーーーー」 「左手に本のしおりを握り締めて」 「ーーー被害者は、F大学の学生ですか?」 「どうして、それを知っている」 「高さん。この原稿、お借りします」 「はい」 「署に戻ります。ビールは、また今度」

 

上川端町

佐藤晋也は、最後の最後に、もう一度だけ、壁に貼り付けた「不採用通知」に目をやった。 「原稿は不採用となりました」 そのすぐ横には、福博出版編集部・高広紀ーーーの手書きのコメントが、面倒臭そうに添えられている。 「展開がアンフェアで、オリジナリティーが無い」 「動機にリアリティーが無い」 高、お前はこの結末をどう受け止めるのかな。 お前のせいで、お前の無責任な放言のせいで、人の命が失われたーー その事実の重みを、お前はどのように精算するのか。 天井からは、すでにロープがぶら下がっている。 強度の実験は念入りに行った。 ロープが切れたり、天井に打ち付けたフックが外れたりといった、失敗はあり得ない。 100%確実な死。 佐藤は椅子の上に立つ、そして天井からぶら下がっているロープの、その中に首を通す。 椅子を蹴ると、彼の意識は切れた。 F大学文学部の学生課の職員をつかまえ、佐藤晋也に関するデータを入手するのに、町田は1時間を要した。 佐藤晋也26歳。 佐藤は2年前に失踪を遂げていた。 住所は、博多区上川端町

 

(ブルームーン探偵団)

2000年7月15日16:00

事は山根の描いた筋書き通り行われた。 山根、佐藤、野田、相川の4人はヒーロー役のお面を被り、 犯人役の子供はスマイルマークのお面を付けられ上川端町商店街へ向かった。 追い山の余韻が残る町には、至る所に観光客の人集りが出来ていた。 大した物でもないのに、山笠と書いた爪楊枝さえ記念にと買っていく。 五人はお面を付けた。人混みに紛れて、気にとめるものは誰も居なかった。 「今からぼくたちは、ブルームーン探偵団として殺人事件の解明を進める。 第1の被害者は佐藤晋也君、そこのお仏壇屋さんでスマイルマークに刺される。」 そう言って山根は佐藤晋也を、シャッターが閉まったお仏壇屋の入口前に立たせた。 下川端町商店街は、追い山の為に休業中の店が多い。 「次は野田君。そこの喫茶店の前に立って」 そういって、シャッターの前を指差した。 「相川さんは薬局ね。」 「そしてぼくは、すぐ先の駐車場で殺される。 スマイルマークは、水道局向島ポンプ場で待ってて」 「はーい」スマイルマーク面を付けた子供は、言われた通り向島ポンプ場を目指した。 しばらくしてス山根、佐藤、野田、相川の四人は集まった。 一方的に山根が指示を出し、スマイルマークのいる向島ポンプ場に向かった。 「昨夜、博多区住吉町を流れる那珂川で、石堂小学校6年の児童が死んでいるのが見つかりました。 帰宅途中に誤って転落したものと思われます」 テレビのニュース番組は短く事故の報道を行った。 亡くなった児童はスマイルマークのお面をつけた子供。 ブルームーン探偵団と称する子供たちが関わっているのは明らかだった。 四人の子供は、天罰としてスマイルマークのお面をつけた子供を殺害したのか? 「ブルームン探偵団・上巻」に最初の殺人として、このスマイルマークの事件が小さく掲載されていた。

 

(アンフェアなのは誰か?)

犯人を名乗る人物から、「ブルームーン探偵団・上巻」が出版各社に送られた。 当初の各社の反応は極めて鈍かった。 3,000万円という最低入札価格がまず破格であったし、そもそも、殺人犯にお金を支払うとい行為自体、世間の理解が得られるとは誰も考えなかった。 送りつけられた小説の一部分を抜粋して週刊誌の巻頭特集を派手にやり、と同時に「自分たちは犯罪者の脅迫に屈しない」という犯人を批判するコメントを合わせて発表する。 それが、すべての出版社に共通する姿勢だった。 要は、ただで手に入れた原稿ではできる限りの商売をするが、自分たちの身銭は一円たりとも切る気はないーーそういうことだった。 異変は、ネットの掲示板から始まった。 各社の10行程度の抜粋では飽き足らない連中が、「もっと読ませろ」と、ネット掲示板2ちゃんねる」で騒ぎ始めた。 書き込みは、一日ニ〇〇〇件以上を数えた。 二日後、飢えたハイエナの群れに屍肉放り込むように、何者かが「ブルームーン探偵団・上巻」の中から、林 真由美の殺害の描写シーンを書き込んだ。 犯人、出版社、そして警察関係者しか読めないはずの部分だった。 掲示板の書き込みは一気にヒート・アップし、そしてそれは、次第に人間の悪意の展示会の様相を呈し始めた。 ある者は、殺害方法が平凡だ、もっと海外のサイコ・ミステリを見習えと書き込んだ。 ある者は、自分が殺してほしい二〇代の女子大生を、実名と住所込みで書き込んだ。 出版各社に「ブルームーン探偵団・上巻」全文を掲載するようメールが殺到した。 町田と平田刑事は容疑者、佐藤晋也の自宅に到着し管理人立会いのもと部屋の鍵を開けた。 そこで発見したのは、佐藤と思われる白骨化した死体だった。 「アンフェアなのは誰か?」 日に焼けて変色した紙が、床一面に散らばっていた。

 

(高と町田の会話)

「高さん、犯人はあなたね」 町田は、憐れみをたたえた笑みで言った。 「ーーー」 「亡くなったのは、皆んな同じ石堂小学校ミステリー部そこで、ゲームの生贄としてあなたの妹さんが殺された」 高は、肯定とも否定とも取れない表情で、答えた。 「『ブルームーン探偵団・上巻』は佐藤が書いて、その通りに事件が起きている。 犯人は佐藤だろう。 それに、女子高生は年代が違うし。 F大の女子大生だって、石堂小学校ミステリー部じゃあない」 「いいえ。あなたは、佐藤さんが投稿した『ミステリー小説』の右肩上がりのプリント、不自然に長い行間、『リアリティー』、『アンフェア』のフレーズを真似て『ブルームーン探偵団・上巻』を書いた。 それにF大の女子大生が、石堂小学校ミステリー部ではないというのは公表されていないのに何故知っているの?」 「いや、ただの想像さ」 「F大の女子大生は山根さんの妹さん。 最初に殺された林 真由美さんは佐藤さんの腹違いの妹さんでした。 佐藤さんは事件の前に亡くなっていて、犯人じゃないわ。 自分の妹が無残な目に遭って、その仕返しとして山根さんと佐藤さんの妹さんを殺害した。 そうでしょ、高さん」 「何か物的証拠でもあるのかな?逮捕令状でもあれば別だが、僕は仕事があるから失礼する」 高はそう言って、その場を後にしようとした。 「ちょ、ちょっと待って。『ブルームーン探偵団・上巻』の最後に相川さんの妹さんが被害に合う事になってるけど。まだ8才の子供よ。本当に小さな子供にそんなことができるの」 「救いたいなら、佐藤の書いた『ミステリー小説』をよく読むんだな」 高は吐き捨てるような言葉を吐いて姿を消した。 町田は捜査本部に戻り、『ミステリー小説』を何度も読み返した。 五百ページはある長編小説。製本されていない原稿用紙の量は並大抵ではなかった。 証拠物であるし、丁寧に1ページずつ頭に刻み込むように読んだ。食事も摂らずに二日目の夜が明けた。 「海岸が殺害現場になっているけど、どこの海岸かしら」 町田刑事は、福岡市内の海岸をスマホで探した。 「自己顕示欲と被害者意識が強く、文章を書ける人が選ぶ海岸ーーー。最近開発された所かな? そうだ。ここしかないわ」

 

(ブルームーン探偵団・下巻)

町田刑事と平田刑事は正式に事情聴取をする為福博印刷に向かった。高は不在だった。 市営地下鉄の中洲川端駅に列車がついた頃、町田刑事の携帯電話の着信音がけたたましく鳴った。 「もう少しで署に戻るんだから」町田は小さく呟いた。 「はい町田。今署に向かっています」 捜査本部の刑事部長からだった。 「今から西大橋に向かってくれ。死体が発見された。男女2人。直ぐに行け」 見物人とマスコミ、警察関係者をかき分け工事中の柵を越えて、シートを被せられた被害者にたどり着く。 30歳前の男女、カップルだろうと声が聞こえたが、町田は確信していた。 「相川と野田に違いない。とうとうブルームーン探偵団の恨みを完遂させてしまった」 投稿者が存命かどうかわからないが、「ブルームーン探偵団・下巻」の入札金額は、最低価格を上回るところまでは行っていなかった。 町田と捜査本部の刑事全員は、本部の片隅に据えられた十八インチの旧型ブラウン管テレビの前に集結していた。 「容疑者がテレビ局に電話を入れてきた」 「えっ」 「生放送のワイドショーだ」 ブラウン管の中では、番組の司会者と犯人とが、電話回線で直接電話をしていた。 「もう一度確認します。あなたが、『ブルームーン探偵団』の作者で一連の殺人事件を起こした犯人ですね」 「そうです。私が作者です」 至って普通のトーンだ。 「残念ながら、最低入札価格三千万を提示する出版社は現れなかった。なので、私は予告通り殺人を行った」 ーーー高だ。 ーーー高 広紀だ。 ーーー彼はどこだ。 かってはゴミ埋立地と、岩やテトラポッドに囲まれた海岸。今は高級マンションや一戸建てで覆われ変貌したアイランドシティ。 高は、そのアイランドシティの真ん中にある不自然に白い新しい砂浜に立っていた。 海風が多少ドブ臭いが、今日は気にしないでおこう。 その一点を除けば、今日は申し分ないくらいに気分がいい。 「ちょっと待ってください。あなたにとって、人の命とはそんなに軽いものですか!」 携帯の向こうで、司会者ががなり立てているのが聞こえてくる。 「もちろんです。別に私にだけかるいわけじゃない。世の中の全ての人にとって、他人の命は軽いはずだ」 日は随分と傾いた。今日は素敵な夕焼けが見られるだろう。 「二人の命を救いたければたったの三千万積めばそれで済んだ。出版社はきれいごとを並べていたが、黒字が出る数字だった」 「あなたは本当に、幼い子の命を奪おうとするのですか。気は確かですか」 「司会のあなた。そういう安い芝居はいらないよ。世の中から非難されるのが怖いのか」 「あなたは狂っている」 「狂っているいないという議論は無価値だ。君たちから見れば私は狂っているかもしれないが、私から見れば、君たちが狂っている。自分たちの心のありのままを見つめず、認めず、ただきれいごとで、説明臭い、偽りのリアリティに、べったりとまみれているに過ぎない。実に下品でアンフェアな生き方だ」 「待ってください!!」 「どっちが正しいかーーそんな虚しい議論をするつもりはない。今日は、私は、幼い子の命を奪う。この欺瞞に満ちた埋立地の中に夕日にそびえるタワーを目に焼き付けて死ぬだろう。それで、私の書いた『ブルームーン探偵団』は、完成する。現実に観測され、証明されたリアリティに満ちた小説になる」 高はそれだけ言うと一方的に切った。 ワイドショーのスタジオにも、そして捜査本部にも、重苦しい沈黙がのしかかった。 「課長。犯人は、犯行現場を私たちに教えています」 町田だった。 「アイランドシティにある高層マンション『シティタワー』の屋上です。そこから、おそらく子供を突き落とすつもりです」 「おい町田。おまえ、そんな情報をどこからーー」 「今は説明している暇はありません。大至急、所轄署にも連絡を」 間一髪のところで少女は救われた。高は服毒自殺を図り病院で死亡が確認された。 高の自宅と福博出版の家宅捜査が行われた。 だが「ブルームーン探偵団・下巻」に関しての証拠は見つからなかった。 マスコミの報道や週刊誌の記事、それに大衆の想像力が「ブルームーン探偵団」のリアリテイとオリジナリティ、アンフェアを実現させた、下巻だったのかもしれない。