読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

介護日記・施設拡大中

介護日記・施設拡大中 投稿私小説

ランカウイ ミステリー

9月28日 3:00

夜中の静けさの中で、緊急を知らせるひときわ大きなサイレンの音が近付いてくるのが分かった。 浅い眠りの中で外に出て確認したい気持ちはあるが、窓から入る虫の処理に負けて諦める、ランカウイ島に住む人の大半はそんな人たちだった。

9月27日 21:30

ナイフを持つ手が震えていた。 刃には目の前に突っ伏した男の血液が付いている。 町田清子はナイフをハンドバッグに入れた。 男の名は高広紀といった。清子の彼氏だった男だ。 『あなたの彼、浮気しているんじゃない?』 同僚の細木真紀からいわれた言葉だった。 清子とは別の女と楽しそうに高級レストランで食事をしていたらしい。 それまで広紀の浮気を感じたことはなかった。 しかし、よく考えてみれば思い当たる節はあった。 付き合いだした頃に比べ、濃密な時間は感じるけれど、出逢う回数は減った。 出掛ける場所がお金のかからない自然公園やお手軽なワニ園。 偶にクアタウンでのウインドウショッピング。 レストランでの食事は半年以上なかった。 メールや電話の回数が減り、御座なりな受け答えを感じる事もある。 清子は自分がモテる方ではない事を分かっている。 現に、30才過ぎて広紀が初めての彼氏だったからだ。 その彼氏を清子は殺してしまった。 『会って話がしたい』と広紀からメールが送られてきたのだ。 広紀と清子はマレーシアにあるランカウイ島の空港内旅行代理店とホテルに勤める、いわば都合の良い関係だった。 待ち合わせ場所は夜の自然公園、外灯はあっても薄暗い。 空港に勤める女性は20代の綺麗な人が多く、別れ話だ、捨てられる、と思った。 泣かれてもいいように、人気のない場所を広紀は選んだに違いない。 別れるくらいなら、広紀を殺して自分も死のう、そう決めて物陰に隠れ、広紀を待った。 正面からだと戸惑ってしまいそうだったから、背後から広紀を刺した。

9月27日 23:50

「どうしたのよこんな時間に?」 同僚の来訪に真紀の表情は驚きと、迷惑を混ぜたようだった。 無理もない日付が変わろうか、という時間だ。 「ちょっといいかな――」 真紀は何かを悟ったようで、清子を部屋に招き入れた。 清子がソファーに座って待っていると、真紀はコーヒーを淹れて持ってきてくれた。 「彼とケンカでもした?」 「真紀さぁ、前に広紀が浮気してるっていったよね?」 「えぇ?そんなこといったっけなぁ?覚えてないんだけど」 「いったよ――」 「分かった!それでケンカしちゃった?」 「――」 「ゴメンね、覚えてないけど謝るよ。広紀くんには私から説明するからさ」 「覚えてないかな――」 「飲もう!お酒でも飲んでさぁ」 「覚えてないかな――」 「明日、私から説明するからねぇ飲もうよ」 真紀は台所に消え、グラスを2つと、ボトルを持って戻ってきた。 しばらくすると、真紀は酔いが回ったようで、上機嫌になった。 無性に腹が立った。 清子は、真紀を星空が綺麗だ、とベランダに誘った。 ふらつきながら真紀はベランダに現われた。 「ほうんとだ きいーれい――」 星空を眺める真紀を、清子は背後に回り、しゃがんで真紀の両足を抱え、力一杯持ち上げた。 真紀は鉄棒で前転するように回転し、ベランダから落ちていった。 間もなく鈍い轟音がした。

 

9月27日 22:00

 

ランカウイ島の自然公園を生ぬるい風が吹き抜けていった。 清子の興奮状態だった拍動が安定していく。 「死にたくない--」 次は自分の番だ、と思った瞬間思わず口から出てしまった。 広紀の事は愛していた。愛しているから別れが怖くて殺してしまった。 だけど、いざ自分も死のう、と思った瞬間。死の恐怖に負けた自分がいる。 うつ伏せに倒れている広紀を仰向けにし、ポケットから携帯電話や財布を抜き取った。 身分を特定できない状態にして、物取りの犯行に見せよう。 単純な発想だった。 誰に目撃されるか分からない。迷っていられなかった。 薄いジャケットの胸ポケット膨らんでいる。 内ポケット? ボタンを外し膨らんだ場所を探った。 指先に固いモノが当る。 清子は内ポケットの中のモノを掴んだ。 箱? その刹那、清子は腕を掴まれた。広紀が生きていたのだ。 消えゆく意識の中で、コレだけは盗られたくない、と広紀の最後の抵抗なのか、握力は力強い。 「ひっ、広紀!」声が裏返ってしまった。 その瞬間、清子を掴む手が力を失って地面に落ちた。 広紀は穏やかな顔をしていた。 清子はリボンの付いた小さな箱に目を落した。 「指輪--」 リングの内側に刻印がある。 (2015.9.27 H to K)

 

 9月28日 10:00

「おい、きのうほんとに来なかったのか?」 病室のベッドに広紀は横になっている。 「ゴメン、クレームが起きちゃって」清子は上目遣いでいった。 「はぁ?オレ危うく死ぬところだったんだぜ!」 「ゴメン――」 「誰か知らないけど救急車呼んでくれたから生きてられんだ、でも、お前の声だと思ったんだけどなぁ――」 「まぁいぃじゃない、で、話しってなに?」 「そうそう、財布と携帯電話は盗まれたんだけど、コレだけは盗まれなかったんだよな」広紀は小さな箱を開けて見せた。 「イニシャルが入ってると売れないのかもな――」小さなダイヤモンドの指輪が輝いていた。 見るのは2度目だったが、嬉しかった。 「結婚しよう!」

 

ランカウイ島で日本人が殺されたのは、初めてでした。 世界遺産に登録され、日本人の観光客が急増しているランカウイ島。 この事件によりマレーシアの観光産業は大打撃を受けると思われます。 ランカウイ ミステリーの始まりです。