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介護日記・施設拡大中

介護日記・施設拡大中 投稿私小説

真夜中にふと思う

人がよく死ぬと言われる時刻に目覚めてしまった。 いや。人がよく生まれる時刻であったか。 いずれにせよ、こうして目が覚めてしまった以上 さらに眠らんとするは不自然であり、 怠惰な気がする。 仕方なく起き上がることにした。 起きてからすることをしてしまえば、他にすることはない。 一昨日あたりから気になっていることを考えてみる。 人はよく真理や悟りを求める。 世界の究極の理解、生き方や考え方の正解みたいなものか。 ただし、その様なものが実在するかどうかは不明。 仮に、その様なものが見つかり、知ることができたとする。 それから、それを我々はどうするというのだろう。 まず、忘れないよう言葉として記録しそうである。 次に、記録したそれを繰り返し暗唱するかもしれない。 公式を暗記する受験生のように。 または念仏を唱える坊主のように。 それは紛れもないそれであり、もう疑う余地はない。 その教えの通り、ただただ実践するのみ。 もう何も心配はいらない。 これに頼ってさえいれば安心だ。 「ああ、私は幸せだ」 ーーーはて、なんであろう。 これは依存心そのものではなかろうか。 逆に言えば、かような依存心あるがため その様なものを 求めていたのではあるまいか。 信ずれば救われる。 宗教は満たされぬ依存心の産物。 だから、その様なものが仮に実在するとしても それに頼りきってはなるまい。 高校の倫理で習った、哲学者のカントがデカルトを批判したのもそんなとこだろう。 まあしかし、そんなことはどうでもいい。 誰も興味はあるまい。 今流行りの歌を聞きながら、 ミステリー小説でも読むことにしよう。 人間の真理(いや心理)はミステリー小説を読んでいるとよくわかる。 人がよく死ぬと言われる時刻に目覚めて。 いや。人がよく生まれる時刻であったか。 そのせいか禅問答のように他愛もないことを考えてしまった。

ギャラクシー・サンドサンドバーガー

ときは西暦2265年。

宇宙に作られた人工の居住地、 「スペースコロニー」が木星土星の間にありました。 そしてここは、「うず潮」と地球とを結ぶ「宇宙の幹線道路」ーーー ルート246666 通称「ギャラクシー街道」と呼ばれています。 「ギャラクシー街道」が開通した150年前は活気に満ちていましたが 今では老朽化が進み、 閉鎖されるのも近いと言われています。 それでも、宇宙に散らばる星々から、異星人たちがここへやってきます。 実は彼ら宇宙人たちも、人間と同じように悩みを抱えているのでした。 物語の舞台は「サンドサンドバーガー・コスモ店」。 「ギャラクシー街道」の真ん中にひっそり佇む小さなハンバーガーショップ。 映画「ギャラクシー街道」から150年前。

いまは西暦2115年。

ギャラクシー街道にある、普通のハンバーガーショプ。 そこに見かけない異星人3人組が来店した。 まずはおおよそ、その三万年前。 彼らがいた。 いわゆる異星人であり、地球人と比べようもなく、その文明は発達していた。 そんな彼らは今、何をしているのか。 彼らは娯楽を求めて、もっぱら宇宙の旅をしていた。 「あと、どのくらいで次の星に着くのよ」 「三万年くらいだな」 「ちょっと長いね」 彼らの寿命はほとんど永久的だった。 その長い寿命のおかげで、気ままにどこへでも行くことができた。 「だから、ワープ機能のある宇宙船を選べばよかったのよ」 「このくらい我慢するんだな。せっかちなんだな」 「景色を楽しむのよ」 「ここ十年くらいずっと真っ暗なのよ」 「十一年たったら流星が見えるかもね」 「そんなこと言って、わかってるの。みんなも同じこと思っているよ」 「ーー暇だな」 「暇だね」 「暇だよ」 彼らは暇だった。 彼らが前の星に旅行してから、すでに二万九千九百年ほどが経過していた。 それでも、彼らの寿命からしてみれば大したことはないのだが。 しかし、我々人間と彼らの感覚は非常に似ていた。 暇になったら、暇つぶしをしたいとは彼らも思うのだ。 だが、彼らはすでにさまざまなことをやっていた。 しりとりをしたり、宇宙船内で、球技を楽しんだり、ガーデニングをしたり (彼らは数万年の間に独自の品種改良までしていた。) 数万枚のカードで神経衰弱をしたり、想像力を働かせて小説を書いたり、 自分の書いた小説を読んだり、とにかくやりつくしていた。 ちなみに自分の書いた小説を自分で読むのは非常に恥ずかしく なってしまったので途中でやめてしまった。 彼らは次にする暇つぶしを考え始めた。

 

2年が過ぎた。

「あーーーのな」 「どうしたね」 「まだ外真っ暗だよ」 「ーーー」 3年が過ぎた。 「ーーあのね」 「どうしたんだな」 「途中通り過ぎた星にあった『料理』ってものをやってみないかね」 「それはいい考えよ」 意外にも彼らはまだ、料理をしていなかった。 それもそのはずで、彼らは食物を摂取する必要がなかった。 地球人と違う彼らの体は、体内で栄養を循環し続けるシステムを持っていたからだ。 しかし、口は存在していた。 「今更だけどね、気になるレシピもあるのね」 「何なの」 「『ハンバーガー』っていうのだがね」 「どんな食べ物だな」 「英雄が好む食べ物らしいよ」 「ほう、いいな」 「どんな英雄が食べるのよ」 「その星の電波から情報を見てみるとね、どうやら『戦隊』と言われる英雄集団 の中で『黄色』を司る戦士が好む食べ物らしいね」 「『戦隊』とはどんな活動をしとるんだな」 「それが、その星を支配しようとしている悪人を一人ずつ誘い出しては五人ほど でリンチにして、各個撃破しているようなのね」 「非常に堅実な方法だな」 「頭いいよ」 「ところが悪人の方もただではやられないのね。殺されそうになるとーー」 「どうなるのよ」 「巨大化するね」 「巨大化なのよ!」 「巨大化とな! そいつの体の仕組みは我々をも超越しとるな。 あの星にはそんな恐ろしい生物がいたのだな」 「巨大化した悪人を相手に『戦隊』はどうするの」 「彼らも巨大化するね」 「そんな」 「あの星の人はそんなことができたの。全然気づかなかったのよ」 「ああ、しかし、巨大化できるのは選ばれたものだけらしいね。 その戦士は『ハンバーガー』を食べる前に『ハンバーガー』2個を目に当てて 巨大化していたね」 「なんと、『ハンバーガー』の力だったよ」 「それで、巨大化した後はどうなるんだな」 「腕をこう、交差させるとそこからレーザーが出て、悪人を攻撃していたね」 「レーザーとな!」 「どうやら、あの星の住人には隠された力がたくさんあったようなの。 で、レーザーを受けた悪人はどうなるよ」 「爆散するね」 「えっ?」 「えっ?」 「爆散するよ」 「その場で死刑とな! なんと恐ろしい民族だな」 「もっと平和的な民族と思っていたの。そんなに好戦的なのよ」 「しかし、処刑した後『ハンバーガー』2個を重ねて、旨そうに食っておった。 そんな『ハンバーガー』に興味わくね」 「わくな」 「わくよ」 話を聞いていたらわかるが、彼らが電波から受け取った情報は非常に 偏っているうえに混線していた。

 

「早速、『ハンバーガー』を作ってみたいのだけれどね。 実は、うまく電波からの情報を受け取れなかったね。 完成品の画像と一部の 材料の写真は手に入れられたね。これね」 そういうと、目の前に画像が出てきた。 「これが、『ハンバーガー』なのよ。 茶色い皿みたいのに挟まれた植物と動物の加工物に、 排便のような茶色いソースをかける料理なの。 それにしても、変化に欠ける料理だのう」 「え、それはーーー」 「それはーーー」 「ーーーうまそうだな」 彼らの感覚は地球人とは違うのである。 「じゃあ、まずは材料を揃えようね」 「この茶色い皿はバンズといって、あの星から来た画像に製造方法があるな。 材料を ガーデニング室から取ってこよう」 そう言って、彼らの一人がガーデニング室へ向かった。 戻ってきた彼が持っていたのは小麦だった。 「これを電子加工機に入れると、バンズは出来るのね。これで大丈夫ね」 「次は中の植物と動物の加工品なのよ」 「どんなものが入っているんだな」 「一部だけどこれね。」 そういって、見せた画像にはレタス、トマト出ていた。 「うーん、ガーデニング室にあるかな」 「あ、この茶色のやつはもしかしたら、あれかもなの!地上で一番強い生き物」 そういって、また一人が冷凍室へ向かった。 戻ってきた彼が持ってきたのは、熊の肉だった。 「おお、これなんだな!」 「よく気が付いたね。」 間違っているとはつゆ知らず、彼らは喜んでいた。 「そうか、地面に埋まっている部分かもしれないね。もう一つもわかったかもね」 そういって、またまたガーデニング室に向かった。 そして、戻ってきた彼は間違いなく玉ねぎを持っていた。 「写真の通りだな」 「それは皮がついているよ」 「そうだね、剥いておくね」 玉ねぎの皮を剥き始める彼ら、皮を剥くとまた皮が出てきて、 それを剥いたらまた皮がーー。 彼らは玉ねぎの皮を全部剥いてしまった。 「これはまだ実になっていなかったようなのね」 「仕方ないな」 「一つくらい大丈夫なのよ」 「そうだね。あとは材料の写真は無いから、完成品から予想するしかないね。 みんな思いつくかね」 「どうも、今集めた材料だとソースが茶色くなりそうにないな」悩む彼ら。

 

ちょうど二か月経とうとしたころ。 「「「あ!」」」 と、三人同時に何か思いついたようだ。 そして、それぞれが思い思いの材料を持ってきた。 「そういえば、隠し味にこれを入れるとあったのを忘れていたね。 茶色いソースはきっとこれね」 彼はチョコレートを持っていた。 「茶色いソースはこれもきっと入っているな」 彼の持っているのは、ピーナッツバターだった。 「材料はこれでよさそうだね。『ハンバーガー』はどうやら熊の肉と玉ねぎで具を 作り、 バンズにトマトとレタスと一緒に挟んだ料理だからね」 熊の肉と玉ねぎを細かく切って、ツナギにパン粉を入れて、丸く成形した。 「これを『じっくり焼く』と情報があったね。加熱機に入れればいいかね」 「『じっくり焼く』とな。どのくらいの長さかな」 「とりあえず短い時間からでいいんじゃないのよ」 「そうだね、じゃあ、まず一年くらいにして」 彼らの時間間隔は地球人と違うのだ。 「温度はどうするかな」 「あの星の熱源は主になんだったのよ」 「『太陽』だね。じゃあ、六千度くらいで」 そういって、彼らはハンバーグを加熱機に入れ、時間と温度の設定をした。 「それじゃあ、できるまで待っているね」 一年後。 彼らはワクワクとしながら加熱機の扉を開けた。 そこには、何もなかった。 高すぎる温度にすべてが蒸発し、消滅していた。 彼らはもう一度材料を用意して、加熱機に入れた。 時間と温度を短くした。 それでも、彼らは何度も失敗し、ようやく焦がさずにハンバーグを作れたのは 五年後のことだった。 「できたね」 「案外早くできたな」   なんども言うが、彼らの感覚は地球人とは違う。 「すぐに食べるのよ」 彼らはバンズを用意した。 レタス、トマトも用意した。 「じゃあ、ソースをかけるね」 ぷーんと漂う、甘ったるい香り。 「じゃあ、食べようね」 「食べるんだな」 「食べるよ」 そう言って、彼らはハンバーグにソースをかけて、レタス、トマト と合せてバンズに挟み、それをのせて口に運ぶ。 「あれだな」 「あれなの」 「ーーうまいね」 「うまいな」 「最高なのよ」 彼らは『ハンバーガー』を満足げに頬張る。

 

宇宙船の窓から見える景色は今日も真っ暗。 それでも、彼らは楽しそうである。 次の星まで、しばらくかかる。 西暦2115年。 宇宙に作られた人工の居住地、 「スペースコロニー」が木星土星の間。 そしてここは、「うず潮」と地球とを結ぶ「宇宙の幹線道路」ーーー ルート246666 通称「ギャラクシー街道」。 3人の異星人は、『ハンバーガー』を誰かに食べて貰おうと、 ギャラクシー街道、バーガーショップに寄った。 見かけない異星人たちは、大量の熊の肉とレシピももって、これを評価して欲しい と宇宙標準語で伝えた。 バーガーショップの店長は、忙しかったので後回しにしたが、休みの時に 自宅で作ると意外に美味しかった。 ショップのメニューに加える。 忽ち評判になり『サンドサンドバーガー』として150年続くヒット商品となった。

それから、150年後。ときは西暦2265年。

 

再び、ギャラクシー街道の「サンドサンドバーガー・コスモ店」。 今では老朽化が進み、 閉鎖されるのも近いと言われています。 それでも、宇宙に散らばる星々から、異星人たちがここへやって来る。 見かけない3人組の異星人も、再びここを訪れる。 新しいレシピを持って。

雪女伝説

B.C.2117年12月14日 「おじいちゃんも亡くなったし、むかし愛した人のお話しをしてあげるわね。 いまの時代から400年ほど前の、そう日本ではちょんまげを結ってた時代ーー」 雪は、孫たちに話を始めた。 ある東北の山の中腹。あたり一面は吹雪で真っ白だった。 広紀は吹雪を避けようとして、山の中をさまよい歩いた。 広紀は猟師で、小さい頃から父親と山歩きしていてこの山の事はよく知っている。 だが、さすがの広紀も、この猛吹雪は初めての経験だった。 (今すぐ隠れ場所を見つけないと、ーーー俺は死んでしまう)   すでに足は感覚がなくなり、踏み出すかんじきは石のように重く感じた。 (もうだめかーー?)そう思った時、広紀は目の前に見覚えのある洞穴を見つけた。 それは小さい頃、父と山歩きをしていた時に見つけた、この山の山腹にある洞穴だった。 「いいか、広紀ーーこの洞穴には絶対に入っちゃだめだ。 中には恐ろしい魔物が住んどるから」   父にそう言われた事を思い出したーーーでも、今はこの洞穴に隠れて吹雪を避けないと凍え死んでしまう。 迷っている暇などない!広紀は意を決して、鉄砲を構えながら洞穴の中に入った。 (もし、魔物が出て来たら撃ってやる!) そう思いながら、火縄を取り出して火を点けて準備した。 火縄の薄明かりに照らされた洞穴は、今まで見たことのない綺麗な半円形だった。 床も壁も何だかつるつるした石でできているようだった。 壁を触ってみると、石と言うよりも、まるで磨いた鍋のような手触り。 そうして、広紀が洞穴の奥の方に目をやると、何か光っているのが見えた。 (ははあ、あれが魔物の眼だーーーさあ、かかって来い!) 広紀は火縄を鉄砲の中に仕込んだ。 けれど、いくら身構えて待っても、その眼は広紀に襲い掛かっては来なかった。 (妙だな?魔物の奴、動こうともしないーー)   不思議に思った広紀は、鉄砲を構えながら、一歩一歩慎重に光る眼に近づいて行った。 (よしっ!今だ!) 鉄砲の引き金を引こうとした広紀は、びっくりしてひっくり返りそうになった。 火縄の薄明かりに照らされた先には、若い女が倒れていた。 光は女の服が出していたのだった。 それは今まで見た事もない美しい女だった。 妙な事に老人なのか?髪の色は紫色なのに顔は若々しく、身体にはさらに白い衣装を纏っていた。   そっと触ってみると、その衣装はまるで絹のようにスベスベした手触りがする。 だが女の身体は冷え切っていた。   広紀はあわてて女の手を取った。 血管の脈拍が弱くなっているーーこのままでは死んでしまう。 助けてやらねばならない。 女を抱き上げた広紀は洞窟の入り口へと急いだ。 外を見ると吹雪は少し小止みになっていた。 どこをどう走ったのか覚えていないほど、広紀は必死になって女を抱えて山を降りた。 麓の小屋に帰って来た広紀は、取るものも取りあえず火を燃やして、身体を暖めるために囲炉裏端に女を寝かせた。   一晩中寝るのも忘れて、女の手や足をマッサージしている内に、疲れきった広紀は寝てしまった。

ふと目が覚めると、夜が明けていて、女が不思議そうな顔をして広紀を見ていた。 「おお!良かったーー生き返ってくれたんだ」 広紀は嬉しそうに言った。 「ここはどこですか?」 女は広紀に聞いた。 「安心してくれ、俺の家だーあなたが洞穴の中で倒れて死にそうになってたんで、 運んで来たんだ」 「私を助けていただいたんですか?」 「ああ、おれが見つけなかったら危ない所だった」 「助けていただき、ありがとうございます」 女は身体を起こそうとしたが、よろめいた。 「あっ!まだ無理してはだめだーーーじっと寝てろよ。今、暖かい雑炊作るからな」 そう言って女を寝かした広紀は、簀の子から鹿の干し肉と乾いた山菜をとって、 囲炉裏にかけた鍋に入れた。 出来上がった雑炊を椀に取り、口で吹いて手頃な温度にしてから、 サジで女の口に運んでやった。 「どうだ、口に合うかい?」 広紀が心配して尋ねると、女はこっくりとうなづいて言った。 「ご親切にしていただき、ありがとうございます」 「なあにーーー困った時はお互い様。気にしなくていいよ」 動物を狩る生業の猟師とは言え、広紀は気性のやさしい男だった。 広紀の作った雑炊を食べた女は、少しばかり落ち着きを取り戻した。 そう言えば、広紀は女を助けるのに必死で、まだ彼女の名前も聞いていなかった。 「おれ、広紀って言うんだが、あなたは何んて名前?」 「はい、雪と言います」 「雪さんか、良い名前だーー、何処からきた?」 広紀にそう問われた雪は、困ったような顔をして戸惑っていた。 「あ、いいよーーいいよーー無理に思い出さなくても」 (死にかかってたくらいだ。きっと記憶を無くしてしまったんだろう) (立派な衣装着てる所を見ると、どっかの大店の娘か、庄屋の娘さんなんだろうな) (山に遊びに来て、誰かと逸れて迷っちまったのか? ーー若いのに髪が紫なのは、大病を患ったせいかもしれない)  広紀はあれやこれやと想像しながら雪の事を考えた。 「あのーー私」雪はちょっぴり不安そうな顔をして広紀を見た。 「ああ、心配しなくていいよー雪さんの身体が良くなるまで、おれはむこうで寝るから」 「はい、済みません」 こっくりうなづく雪に、広紀はそっとやさしく布団を掛けてやった。

広紀の懸命な世話のおかげもあって、雪の身体はすぐに回復して行った。 だが、雪は自分の名前以外は何一つ思い出せない様子だった。 それでも、動けるようになった雪は、あれこれと広紀の手伝いをしてくれた。 笑顔を見せながら一緒に働く雪を、広紀はしだいに好きになって行った。 (いけない、いけないーーこんな貧乏な猟師と、金持ちの娘さんでは身分が釣り合わない) (早く雪さんを里に帰してやらないとーーそうだ!明日、町に下りて、誰かに雪さんの事を聞いてみよう) 翌日、広紀は山で獲れた毛皮を担いで、山腹の小屋から町に下りた。 そうして、毛皮を売る道すがら雪の素性を尋ね歩いた。 けれども、誰一人髪が紫で、肌が白い娘を知っている者はいなかった。 すっかりあきらめた広紀は、新しい鉄砲を買って帰る事にした。 広紀の持っている鉄砲は、もうすっかり古くなってしまっていたからだ。 ところが鉄砲屋を探している内に、広紀は偶然、一軒の飾り細工の店を見つけてしまった。 その店先には高価な珊瑚でこしらえたそれは見事に美しい髪飾りが並べられていた。 広紀は思わずその髪飾りを手に取ったーーだが、髪飾りには鉄砲が買えるほどの値段が付けられていた。 (鉄砲なんていつでも買える。この髪飾りで雪が喜んでくれれば、雪さえ喜んでくれればそれでいい) 広紀は毛皮を売った金を全部はたいて、雪のために髪飾りを買った。 小屋に帰った広紀は、さっそく買って来た髪飾りを雪につけてやった。 雪はとても喜んで、広紀に抱きついたーーそして、とうとう広紀は雪を抱いてしまった。 ーー広紀はすっかり雪に酔いしれた。 それからの二人は毎晩のように愛を交わした。 広紀の頭の中は、もうすっかり雪の事で一杯になった。 (雪に美味しいものを食わせてやるよ!雪にいい着物を着せてやる!) それまでと違って、広紀は仕事に張り合いが出て来た。 獲物を取るのも雪のため、木の実や山菜を採るのも、何でも雪の事を思ってがんばった。 雪は一生懸命広紀の手伝いをし、炊事や洗濯や小屋の掃除にいそしんだ。 二人は愛し合っていたーー 貧乏ではあったが、それは夢のような生活だった。 (もうどうなってもいぃーーこのまま雪と一緒に暮らしたい)(いやいや、それはいけないーーお里では懸命に雪を探してるに違いない)   広紀の心はいろいろと揺れ動いたーー迷いに迷ったが、どうしても雪と離れたくはなかった。

とうとう、ある吹雪の晩、決心した広紀は雪に告白した。 「あのねーー雪」 「なあに?広紀さん」 「おれと夫婦になってくれないか?」   広紀の言葉を聞いた雪は、一瞬ビクッ!とした。 「おれと雪とではつり合わない事は分かってるが、おれは雪がいないと生きてけない」 しばらく迷っていた雪は、悲しそうな顔をして、意外な返事をした。 「私はあなたとは結婚できません」 「なぜだ?おれが貧乏だからか?身分が違うからか?」 「いいえそれは違います。結婚すると私はあなたを不幸にしてしまうからです」 「そんな事はない!おれは雪に出逢って、初めて幸せを知った」 「あなたは何も知りませんーーこれからの事を」 広紀には雪の言っている意味が分からなかった。 「大変お世話になりました。わたしはあなたが大好きでした。 でも、もうこれでお別れします」 そう言うと雪は小屋の外に出て行った。 「おい、どこに行くんだーー外は雪が降ってるよ」 「洞穴の方に帰りますーーどうぞ私を追わないで下さい」   広紀は雪の後を追おうと思ったが、雪の言葉に身体が萎えてしまって動けなかった。 そうして、雪の姿は吹雪の中に消えて行ったーー 小屋の外には広紀が買ってやった髪飾りが落ちていた。 (やっぱり、死んだ親父の言ってた通り、あれは魔物だったかなーー?)   我に返った広紀は、髪飾りを拾い上げながらそう思った。 それから数日が経った。 広紀は悶々とした日々を過ごしていたーー いくら雪を忘れようとしても忘れられなかった。 (雪を探しに行こうーー例え雪が魔物で喰われて死んでもいぃ一目だけでも雪に逢いたい) そう決心した広紀は、古びた鉄砲を担いで山に入った。 毎日のように、山の中で雪と出逢ったあの洞穴を探し回った。 必死に探した甲斐もあって、ようやく何日目かにあの洞穴を見つけ出した。 広紀は我を忘れて中に入ったーー もう何も怖くはなかった。 ただ雪に逢いたい一心だった。 けれど、洞穴の奥までくまなく探してみたが、どこにも雪はいなかった。 (まあいいーーここで待ってれば、いつかは雪に逢えるに違いない)   広紀は待ったーー暗い洞窟の中で、何日も何日も雪を待ち続けた。 ただ、雪に一目逢いたいその一心で待ち続けた。

春が過ぎ、夏になり、秋を迎え、とうとうまた冬が巡って来た。   あれから一年が経って、雪は再びあの洞穴に来た。 未来に帰ってからも、雪は広紀の事が気になって気になって仕方がなかった。 (せめてあの人がどうしているか?様子だけでも見に行こう)   そう思った雪は、再びタイムトンネルを潜って過去にやって来た。 だが、雪がトンネルの出口で見たのは、髪飾りを握り締めたまま、骨になっている広紀の姿だった。 雪は知らなかった。 ボランティアとして未来から過去に来た雪は、未来人としてのおごりと自信を持って、 この世界で救えそうな人を探した。 けれどもいくら探しても、救えそうな人はどこにもいそうもなかった。 飢饉で人々が死んで行くのも見たし、武士がいくさで斬り合うのも見た。 庶民の惨状に義憤を感じた商人が、幕府に反乱を起こしたのも見た。 人の世はいつも哀しいーー 庶民は多くを望んでいるのではない、ただひと握りの幸せが欲しいだけだ。 なのに、政治家たちは、いつも自分たちの権力や蓄財しか考えない。 「余りにも不幸な人たちが多すぎる。 自分一人の力で、どこまでできるだろうか」そう雪は思った。 雪のいる未来では、スカイネット社よって、すべての人々に幸せが約束されていた。 「残念だけれど、私の力でこの世界の人々を救う事はできそうもない」   自信を失った雪は、タイムトンネルを通って未来に帰ろうとした。 ところが突然の猛吹雪にあって、タイムトンネルにたどり付いた所で倒れてしまった。 たまたま、吹雪を避けてタイムトンネルに入って来た広紀に救われたのだった。   そして、雪はやっと見つけたーーたった一人、この世界で救えそうな人を ーー幸せにしてあげたい人をーー   けれども、雪はその先に待つ広紀の未来を知って愕然とした。   貧乏な広紀は、身篭った雪にせめて栄養を着けさせてやろうと、熊の胆を獲りに山に入った。 だが、古びた鉄砲は壊れていて弾が出ずに、逆に広紀の方が熊に襲われて死んだのだった。 その未来を知っていた雪は、広紀の不幸な死を回避しようとして、想いを振り切って彼と別れたのだ。 それなのに、雪は愛する男を救う事はできなかった。 幸せにしてやれなかった。 雪の思いやりでも、男を救うことは出来なかったのだ。 「知らなかった。広紀さんがこんなことになるなんて」 雪は愛する男の骨を抱いて泣いた。 「これがそのときの髪飾りよ、おじいちゃんには黙っていたけど。 あの洞窟がダムで消えてしまうと聞いて、この髪飾りを一緒に沈めて欲しいの」 歩くことができなくなった雪は、孫たちにそれを託すこととした。 孫たちは教えられた洞窟の近くまで行ってみると、そこは堰き止めた川の水で見えなくなっていた。 「ここから水に投げ込もうか」孫の中で年長者が言った。 皆が首を縦に振ると、水の上にぽちゃんと小さな音が響いた。 サンゴの飾りを最後まで残すようにして、髪飾りは水中に沈んでいった。 「水不足に悩む東北地方で、我が国3,000件目の記念すべきダムが完成しました。 1回目の水質調査を行っているところ、400年前と思われる火縄銃が湖面に浮いているのが発見されました。 とても珍しいものでーーー、持ち手には広紀と刻印されています。 この辺りの山は雪女伝説がある地域ですが、ダム湖により伝説もすべて消えてしまったようです。ーーー」 3D映像が天井に映し出された。 ダム湖を除けば、400年前吹雪で閉じ込められた山腹と変わらない景色が目の前に広がる。 広紀と過ごした数年間が昨日のように思い出される。 「もう私を待たなくてもいいよ、広紀さん。 私の寿命もわずか。 天国で会えるねとサインを送ったの。あなたも返事をくれたのね。 これで思い残すことはない」 雪はそう言いながら息をひきとった。

 

博多南駅

JR博多南駅は新幹線では一番短い博多南線の終着駅で、今年五月にオープンしたる有料老人ホームの最寄の駅。 今回は博多南駅が登場する短編小説です。ぜひとも最後までお読みください。

「ーーーじゃあさ、賭けをしようよ」 二泊三日京都旅行最終日の夕刻、乗り込んだ博多南行きの新幹線が動き出すと、わたしは隣の席で居心地悪そうに携帯電話をいじる恋人の広紀にそう告げた。 散々な旅行だった。 何もかも任せると言いきった広紀に代わってわたしが、博多駅を発つ頃から綿密に組み立てたプランを、彼はことごとく無視して気ままに振る舞った。 初日、三十三間堂で自分と似た顔の千手観音を探し始めた彼に付き合って、銀閣寺の閉門に間に合わず、二日目の嵐山では、渡月橋からいきなり桂川の上流を目指してずんずん歩き出した彼を追ったせいで、龍安寺の高名な石庭を拝めずじまいとなってしまった。 とうとう昨晩、食事の途中でケンカになった。 予定を狂わせたことを責めると広紀は、 「いいじゃんか。清子だって、俺にそっくりな像を見つけたときも、上流の方でもっときれいな紅葉を見られた時も、すっげぇはしゃいでたくせに」 開き直るのも腹がたつし、彼の言うとおりなのはいっそう腹が立つのだ。 結局わたし達は仲違いしたまま、最終日の今日は、すでに指定席を抑えてあった帰りの新幹線に乗るまで、完全に別行動となった。 合流しても二人の溝は埋まらず、しびれを切らしたわたしはついに、持ちかけたのだ。 ーーー賭けをしよう、と。 「賭けって、どんな」 心当たりがないはずもないのに、広紀は怯えるように頭を上げて問いただす。 「わたしたちが新幹線を降りるまでに、この客席に入ってくる人が一人でもいたら、わたし達は別れる。誰も入ってこなければ、別れない。それでどう」 百パーセントとまでは言わない。 が、こんな賭け、やるまでもなく結果は見え透いていた。 それこそ終着駅を目指す新幹線のような、行き着く先の判りきった賭け。 それでもわたしは、確かめたかったのだ。 二人の旅の終着に、彼が何を望んでいるのかを。 広紀は少したじろいて、しかし深く悩むこともなく、答えた。 「いいよ」 新幹線が加速する。 わたしは背もたれに頭をあずけ、客室の前方に設けられた自動ドアを、祈るような思いで見つめた。

「じゃあさ、賭けをしようよ」 あれは二年前。 ひょんなことで知り合ってからというもの、しつこく誘ってくる広紀に根負けして、初めて二人で会った日の帰りのことであった。 彼と過ごした時間は楽しかった。 彼のことを、少なからず魅力的だとも思った。 しかしその一方でわたしは、この人とはとことん気が合わないな、とも感じていた。 何しろ彼は社交的で行動派、対するわたしは引っ込み思案。 アウトドアでスポーツを好む彼と、屋内で読書を愛するわたしとではとうてい、相性がいいとは思えない。 恋愛だって、どういうわけかこんなわたしにも積極的にアプローチしてくれる彼に対し、わたしはしぶりにしぶってようやく、デートぐらいならという気になった。 なのに彼はもう、付き合ってくれなどと言い出すのだ。 どちらかと言えば、断る方に傾いていた。 せめてもう少し様子を見たかった。 けれどもはっきり答えを出せずにいるわたしに、広紀が告げたのが先の台詞だ。 「俺は大橋駅で降りるから、それまでにこの車両に入ってくる人が一人でもいたら、俺と付き合ってよ。誰も入ってこなければ、今日のところは潔くあきらめる」 「意味わかんない。どうしてそんなことで決められなくちゃいけないの」 「清子ちゃんが自分で決められないなら、他の人に決めてもらうしかないだろ」 憮然としつつもわたしは考える。 二人を乗せた電車はそのとき、高宮駅に停車していて、ちょうどホームに面した扉が閉まったところだった。 次の大橋駅まではたったの二分、隣の車両から乗客が移ってくる可能性はゼロではないが、きわめて低いと思われる。 つまり、ここはひとまずあきらめてもらうことができ、彼との交際については結論を急がずに済む。 「いいよ」わたしはうなずいた。 同時に電車が高宮駅のホームを離れ、大橋駅へと向かう、そう混み合ってもいない車内に人の動きはほとんど見られず、程なく電車は減速し、わたしが賭けに勝ったことを確信し始めたときだった。 広紀が突然、わたしのそばを離れて歩き出したのだ。 初め、降車に備え、乗車口の前まで移動しているのかと思った。 ところが彼はそこで立ち止まらず、なおも歩みを進める。 その先にあるものを見てわたしは、嫌な予感に顔をしかめた。 予感は的中した。 広紀はいったん隣の車両に移ると、すぐさまきびすを返し、また元の車両へ入ってきた。 そして、わたしに言ってのけたのだ。 「それじゃ、今日から恋人ってことでよろしく。清子ちゃん」 折しも電車は大橋駅に到着し、開いた扉から広紀は出ていった。 あまりにも馬鹿馬鹿しい決着にわたしは、電車が動き出したのちも固まってきり動けず、気がついたら自宅の最寄り駅雑餉隈駅を三つも通過していた。

「ーーー呆れてものも言えないってのは、まさにああいう心境をさすんだろうね」 新幹線が出発してから、五分が経過しようとしていた。 わたしが非難めかしく言うと、広紀は肩をすくめる。 「いいじゃんか。断ろうと思えば断れたはずだろ、そんなズルはなしだって」 「だね。あのときは何だか、もういいやって気分になっちゃった」 賭けの結果を受け入れたことが、よかったのかどうかはわからない。 けれどもわたしは、その判断を悔いたことはない。 まして人のせいにするつもりはない。 ふぅ、と息を吐き出すと、わたしはあまり間を置かずに続ける。 「いいんだよ、こんな賭け、さっさと終わらせてしまっても。そんなズルはなしだって、そんなこと、わたしは絶対に言わないから」 広紀は何も答えなかった。 わたしは腕時計を一瞥し、再び、自動ドアに視線を戻す。 二人の賭けは、まだ終わらない。 付き合う前の懸念は正しかった。 とにかく二人は気が合わないのだ。 休日くらい外へ行こうと彼は言い、休日くらい家で休ませてとわたしは答える。 何が伝えたいのかわからない自己陶酔みたいな歌詞は嫌だと彼は言い、小学生でも書けそうな中身のない歌詞の方がひどいとわたしは言い返す。 悩んでも仕方ないことなら悩むだけ無駄だと彼は言い、悩みながらでないと前に進めない人もいる、とわたしは主張する。 それでも楽しさはあった。 自分と一八〇度異なる彼の考え方や価値観は、多分に新鮮でもあり刺激的でもあった。 ただし、ひとたび意見の食い違いが問題となって表面化すると、これっぽっちも共感できない二人は歩み寄ることすらままならず、その度にお互いに疲れ果て、あきらめのうちにうやむやにするしかなかった。 一年が過ぎ、このままでは二人のためにならないと考えたわたしは、ある一大決心をする。広紀が一人で住んでいたマンションに転がり込み、同棲を始めたのだ。 生活を共にすることにより二人の価値観をなじませていきたいという、消極的なわたしにとって蛮勇ともいうべき覚悟をもって臨んだことだった。 ところが今度は価値観どころか、日々の暮らしの些細な差異でさえ、二人の間に溝を生んでしまう。 バスタオルなんて二輓使ってから洗えばいいと彼は言い、その都度洗わないなんてありえないとわたしは答える。 夜は部屋を真っ暗にしないと眠れないと彼は言い、明かりがないと不安でたまらないとわたしは言い返す。 二人で過ごす今が楽しければ他には何もいらないと彼は言い、二人で過ごす将来のために今を厳しく律していきたいと、私は主張する。 この二年間、我ながら本当によくもったものだと思う。 ではなぜ、不一致をひしひしと感じながらも、これまで別れを選ばなかったのか。 単純なことだ。やっぱりわたしは、広紀のことが好きだった。 気持ちだけでは、どうしようもないこともあるのだ。

 

新幹線の車内アナウンスが博多南駅に着いたことを告げたとき、わたしは泣いていた。 すべての乗客が降りていく。 わたしの横を通り過ぎる誰かが、興味ありげにこちらをうかがっているのを感じる。 けれどもわたしは、立ち上がることができずにいた。 「行こう、清子ちゃん」 広紀がわたしの腕をつかんで引っ張り上げる。 しゃくりながらもわたしは、片手に旅行カバンを提げてホームに降り立つ。 同乗者たちはすでに去った後で、駅はしんとしていた。 こんな賭け、やる前から結果は見えていた。 それでもわたしは、確かめてみたかったのだ。 二人の旅の終着駅に、彼が何を望んでいるかをーーー。 こんな馬鹿げた賭けに広紀が、みずから幕を下ろすのか否かを。 改札を出ると、彼はわたしのまぶたをこする手を取った。 そして優しく握り、私の半歩先を行く。 ーーー客室には、誰も入ってこなかった。 この結果を受け入れるのが、よいことなのかどうかはわからない。 わたしはどうせ、一緒にいればいるだけケンカをし、その度に疲れてしまうだろう。 でも今は、きっと大丈夫だと信じたい。 気が合わないことばかりだけど、二人にとってもっと肝心な部分で、わたしと広紀の思いは一致していたのだから。 気持ちだけではどうしようもできないこともある。 でも、気持ちがなければ、どうにかしようと思うことさえないはずなのだ。 二泊三日の京都旅行最終日の夕刻、二人の暮らす那珂川町現人橋のマンションに向けて、陽射しの残る道に足を踏み出すとき、私はこみ上げるなみだをこらえ、半歩先の広紀に言ってのけた。 「それじゃ、これからも恋人ってことでよろしく。広紀くん」 JR博多南線博多駅から博多南駅まで新幹線でひと駅、片道二九〇円。 およそ九分間におよぶ賭けを乗り越えた、二人の旅の終着だった。 JR博多南駅は新幹線では一番短い博多南線の終着駅で、五月にオープンする有料老人ホームの最寄の駅。博多南駅で二人の恋の行方が決着したようです。 最後までお読み頂きありがとうございました。

ブルームーン探偵団

(冷泉公園)

2015年7月21日21:00

福岡市にある西大橋は那珂川に架かる橋で、天神から続く福岡市の観光名所となっている。 西大橋を過ぎて中洲入ると、様々な色をしたネオンが灯りだす。 山根隆一郎は駐車場に車を停めて、そそくさと待ち合わせ場所の冷泉公園を目指した。 視線の先に、公園の入り口が見えた。 街灯の電球が切れているのか、公園の入り口は暗かった。 しばらく歩くと障害物に躓いた。 人だった。 携帯電話を開いて、液晶画面の明かりを当てる。 倒れこんだまま、ピタリとも動かないセーラー服の姿。 顔の左半分に大きな穴があり、そこから流れ出した大量の血が、周り一面をどす黒く覆っている。 その穴が、左の眼球を抉り出された痕だとわかるのに、隆一郎はそれほど時間を要しなかった。 背後の暗がりから、声がふわりと湧いた。 「オリジナリティー」 隆一郎は後ずさりしたが、女子高生らしき死体に阻まれて下がれなかった。 暗がりから姿を現した人影は、手に鈍く光る何かを握っていた。 「リアリティー」 高 広紀は朝のテレビのスイッチ入れてみる。 どの番組も、昨夜、博多区冷泉公園で起きた殺人事件のニュースを放映している。 「被害者のひとりは会社員、山根 隆一郎さん26歳もうひとりの被害者は県立高校三年生の林 真由美さん17歳」 たかだか殺人事件を、マスコミは大々的に取り上げている。 どうして、殺人事件の被害者は、こんなにも悲劇の主役扱いされるのか。 交通事故で死ぬのと、若くしてガンで死ぬのと、バスルームで足を滑らせて頭を打って死ぬのと、何処がどう違うのか。 何も違いはない。 老衰と自殺。 それ以外の死は、みな、同じことだ。 ついてなかった(アンフェア)。そういうことだ。 そんなことを思いながら、それでも広紀はしばらくテレビを消さなかった。 翌日、広紀の勤める福博出版に、犯人を名乗る人物から小包が届いた。 中身は『ブルームーン探偵団・上巻』いう原稿。 そこには連続殺人事件の詳細と予告、そして 「事件を防ぎたければ、この小説の続きを落札せよ」という要求が。 差出人不明の小包から原稿を取り出すとき、 「アンフェアなのはだれか?」と書かれたしおりがふわふわと舞い降り、コンクリートの床に張り付いた。 直ぐに小包の件は、社内中にひろまった。 「ブルームーン探偵団が、脅迫しているらしい」 そんな言葉を広紀は小耳に挟んだ。 聞き覚えのある言葉だった。 「ブルームーン探偵団!?」

 

上川端町商店街)

2000年7月8日16:00

 石堂小学校教室。 5人の部員が今日のクラブ活動計画を考えていた。 大半は、終業時間が来る事を待っていたと言った方が良かった。 ミステリー部に所属する彼らは、いつも時間を持て余していた。 担当の先生は出産休暇中だったが、ゆとり教育の影響でそもそも教員数が足りない。 代理の教員が来る事はなかった。 とりあえず上川端商店街の探索を誰かが提案し、実行されることになった。 体調不良で、外出を断った1人を残して、山根 隆一郎、佐藤 晋也、野田 毅、相川 輝美の何れも小学校6年生が、出発した。 上川端商店街は、まだキャナルシティが誕生する前。 シャッター通りと迄はいかなかったが、人通りはさほど多くはなかった。 「山根君。ここって何か意味あんの?別に目新しい店が出来たわけじゃなし、学校の往き帰りに通ってるよ」 アーケードの最後まで来ると、ちょっと気が強く、男の子にも物怖じしない相川輝美が発言した。 「違うんだよ。これは僕らが作るミステリー殺人事件の、現場確認さ」 「はあ?何言ってんの、意味わかんねー」 それまで大人しかった佐藤 晋也が口を出した。 「これから学校に帰るまでの風景を、皆んな頭に焼き付けるんだ」 「いやーだよ、べー」 野田 毅が如何にも気に食わないという風に、唾を吐いた。 教室に帰り着くと、書き置きがあった。 「今日は、体調不良で帰ります」 「実はもうミステリー殺人事件の原稿が出来てるんだ。犠牲者は、佐藤君、野田君、相川さん、それに僕、山根。犯人は、今日早退した、スマイルマーク」 「ちゃんと名前呼んであげなよ」気は強いが優しい相川がケチをつけた。 「これには訳があるんだよ。犠牲者は蘇り、スマイルマークお面をいつも付けている子に復讐する」 そう言って、山根は来週のクラブ活動の段取りを皆に説明した。 「ぼくたちは『ブルームーン探偵団』。って言っても知らないかも知れない。 NHKの連続テレビ番組で、再放送みたいだったけど、探偵二人が中心になって難事件を解決していくやつ」 「で、捕まえた犯人はどうすんの?」気の弱い佐藤が恐る恐る聞いた。 「もちろん、僕らが天罰を与える」山根はごく自然にそう言った。 「天罰ーーー」他の3人は声を合わせて驚いた。

 

(地下倉庫)

2015年7月25日22:10

作業は、想像以上に難航した。 無秩序に山積みにされたダンボール。 それらのすべてに、投原稿がびっしりと詰め込められていて、ひとつそれを持ち上げるたびに、高の腰は悲鳴を上げた。 汗がシャツの中を流れ落ちる。 時計を見ると、22時を回っている。福博出版は、今年から経費削減のため、22時以降は空調の電源が切れることになっているのを忘れていた。 「何を、してるんですか?」 振り返ると、地下倉庫の入り口に、町田が立っていた。 「刑事さんーー」 取調室で向かい合っている時より、心なしか、視線が柔らかい。 「ちょっと探し物を」 「探し物?」 「はい。いわゆる持ち込み原稿と呼ばれるやつです。いろいろな人間が、明日の人気作家を目指して、出版社に自作を持ち込んでくる」 「そんなの、いちいち取っておいたら大変じゃないですか?」 「普通は、ボツならすぐに廃棄です。でも、ぼくにはなかなか捨てられなくて。なんていうか、捨てられるとなんか葬られる気がして」 「へええ」 女刑事が、微笑んだ。今の答えのどこが面白かったのか、高には理解できなかった。 「で、刑事さん。なんのご用ですか?」 「ご用って言われると、難しいんですけど」 言いながら、町田は地下倉庫の奥へゆったりと歩いてきた。 「ご迷惑でしたか?」 「いえ、全然。ちょうど、誰かに目撃されたいなと考えていたところでした」 「?、目撃?」 「はい、こんなに汗だくで探し物をしているのに、それを誰も知らないなんて、なんか、損したような気になりませんか?それにーーー」 それにーーあと、どのくらい正直に話すべきか高は迷った。 嘘はつきたくない。今、ここで町田と会えたことが、どれほど高にとって幸運か。 幸か不幸か、町田は、高の言葉を聞いていなかった。 安物のスチールのラックの上に『ブルームーン探偵団・上巻』が置かれているのに気が付いたからだ。 「これーーー」 「その、右肩上がりのプリント、不自然に長い行間、『リアリティー』、『オリジナリティー』のフレーズーーー見覚えのあるような」 「素人の、持ち込み原稿の中に?」 「はい」 町田の行動は早かった。上着を脱ぎ、シャツの袖をまくる。そして、高と一緒に原稿探しを始める。 「私、推理小説って滅多に読まないんですけどーー例の小説の中で、ひとりで部屋で、カタカタとキーボードを打っている男が何度か出てくるじゃないですかーー」 「あー、白い壁の部屋の男」 「ええ。彼が、この事件の犯人なんですよね?」 「一般的にはそうで無いかもしれない。ですが、作者すなわち犯人のプライドの高そうな表現からして、ぼくの直感では彼が犯人だと思います。」

 

(持ち込み原稿)

「ねえ、高さん」 「全部終わったら、ビール飲みにいきません?」 「えっ?」 「もう汗だくで」 いつもなら、最初から焼酎のロックをあおるのだが、今日は生ビールの方が旨そうだ。 「いいですね、ビール」 高が、新たなダンボールのガムテープをはがしながら答える。 「あーーーーー」 「?」 「刑事さん、これーーーだ」 右肩上がりのプリント、不自然に長い行間 、作品名は『ミステリー小説』。 著者名は佐藤晋也。 1枚目に履歴書が付いている。 F大学文学部4年。 サークルは、ミステリー研究会に所属。 日付は2013年10月21日、2年前に投稿されている。 携帯電話が圏外だったので、町田は大急ぎで階段を駆け上がり、地上へと飛び出した。 捜査本部の直接電話は、短縮01に登録している。 折り畳みの携帯を開く。 短縮01を押すより先に、町田の電話がけたたましく鳴り出した。 捜査本部からだ。 こういう偶然の一致には、ろくなケースがないことを、町田は知っていた。 「はい、町田です」 電話の向こうから、刑事部長の声が飛び込んできた。 「殺しだ。ホシは入札の最終期限まで待ちやがらなかった」 「被害者は、予告通りーーーー」 「左手に本のしおりを握り締めて」 「ーーー被害者は、F大学の学生ですか?」 「どうして、それを知っている」 「高さん。この原稿、お借りします」 「はい」 「署に戻ります。ビールは、また今度」

 

上川端町

佐藤晋也は、最後の最後に、もう一度だけ、壁に貼り付けた「不採用通知」に目をやった。 「原稿は不採用となりました」 そのすぐ横には、福博出版編集部・高広紀ーーーの手書きのコメントが、面倒臭そうに添えられている。 「展開がアンフェアで、オリジナリティーが無い」 「動機にリアリティーが無い」 高、お前はこの結末をどう受け止めるのかな。 お前のせいで、お前の無責任な放言のせいで、人の命が失われたーー その事実の重みを、お前はどのように精算するのか。 天井からは、すでにロープがぶら下がっている。 強度の実験は念入りに行った。 ロープが切れたり、天井に打ち付けたフックが外れたりといった、失敗はあり得ない。 100%確実な死。 佐藤は椅子の上に立つ、そして天井からぶら下がっているロープの、その中に首を通す。 椅子を蹴ると、彼の意識は切れた。 F大学文学部の学生課の職員をつかまえ、佐藤晋也に関するデータを入手するのに、町田は1時間を要した。 佐藤晋也26歳。 佐藤は2年前に失踪を遂げていた。 住所は、博多区上川端町

 

(ブルームーン探偵団)

2000年7月15日16:00

事は山根の描いた筋書き通り行われた。 山根、佐藤、野田、相川の4人はヒーロー役のお面を被り、 犯人役の子供はスマイルマークのお面を付けられ上川端町商店街へ向かった。 追い山の余韻が残る町には、至る所に観光客の人集りが出来ていた。 大した物でもないのに、山笠と書いた爪楊枝さえ記念にと買っていく。 五人はお面を付けた。人混みに紛れて、気にとめるものは誰も居なかった。 「今からぼくたちは、ブルームーン探偵団として殺人事件の解明を進める。 第1の被害者は佐藤晋也君、そこのお仏壇屋さんでスマイルマークに刺される。」 そう言って山根は佐藤晋也を、シャッターが閉まったお仏壇屋の入口前に立たせた。 下川端町商店街は、追い山の為に休業中の店が多い。 「次は野田君。そこの喫茶店の前に立って」 そういって、シャッターの前を指差した。 「相川さんは薬局ね。」 「そしてぼくは、すぐ先の駐車場で殺される。 スマイルマークは、水道局向島ポンプ場で待ってて」 「はーい」スマイルマーク面を付けた子供は、言われた通り向島ポンプ場を目指した。 しばらくしてス山根、佐藤、野田、相川の四人は集まった。 一方的に山根が指示を出し、スマイルマークのいる向島ポンプ場に向かった。 「昨夜、博多区住吉町を流れる那珂川で、石堂小学校6年の児童が死んでいるのが見つかりました。 帰宅途中に誤って転落したものと思われます」 テレビのニュース番組は短く事故の報道を行った。 亡くなった児童はスマイルマークのお面をつけた子供。 ブルームーン探偵団と称する子供たちが関わっているのは明らかだった。 四人の子供は、天罰としてスマイルマークのお面をつけた子供を殺害したのか? 「ブルームン探偵団・上巻」に最初の殺人として、このスマイルマークの事件が小さく掲載されていた。

 

(アンフェアなのは誰か?)

犯人を名乗る人物から、「ブルームーン探偵団・上巻」が出版各社に送られた。 当初の各社の反応は極めて鈍かった。 3,000万円という最低入札価格がまず破格であったし、そもそも、殺人犯にお金を支払うとい行為自体、世間の理解が得られるとは誰も考えなかった。 送りつけられた小説の一部分を抜粋して週刊誌の巻頭特集を派手にやり、と同時に「自分たちは犯罪者の脅迫に屈しない」という犯人を批判するコメントを合わせて発表する。 それが、すべての出版社に共通する姿勢だった。 要は、ただで手に入れた原稿ではできる限りの商売をするが、自分たちの身銭は一円たりとも切る気はないーーそういうことだった。 異変は、ネットの掲示板から始まった。 各社の10行程度の抜粋では飽き足らない連中が、「もっと読ませろ」と、ネット掲示板2ちゃんねる」で騒ぎ始めた。 書き込みは、一日ニ〇〇〇件以上を数えた。 二日後、飢えたハイエナの群れに屍肉放り込むように、何者かが「ブルームーン探偵団・上巻」の中から、林 真由美の殺害の描写シーンを書き込んだ。 犯人、出版社、そして警察関係者しか読めないはずの部分だった。 掲示板の書き込みは一気にヒート・アップし、そしてそれは、次第に人間の悪意の展示会の様相を呈し始めた。 ある者は、殺害方法が平凡だ、もっと海外のサイコ・ミステリを見習えと書き込んだ。 ある者は、自分が殺してほしい二〇代の女子大生を、実名と住所込みで書き込んだ。 出版各社に「ブルームーン探偵団・上巻」全文を掲載するようメールが殺到した。 町田と平田刑事は容疑者、佐藤晋也の自宅に到着し管理人立会いのもと部屋の鍵を開けた。 そこで発見したのは、佐藤と思われる白骨化した死体だった。 「アンフェアなのは誰か?」 日に焼けて変色した紙が、床一面に散らばっていた。

 

(高と町田の会話)

「高さん、犯人はあなたね」 町田は、憐れみをたたえた笑みで言った。 「ーーー」 「亡くなったのは、皆んな同じ石堂小学校ミステリー部そこで、ゲームの生贄としてあなたの妹さんが殺された」 高は、肯定とも否定とも取れない表情で、答えた。 「『ブルームーン探偵団・上巻』は佐藤が書いて、その通りに事件が起きている。 犯人は佐藤だろう。 それに、女子高生は年代が違うし。 F大の女子大生だって、石堂小学校ミステリー部じゃあない」 「いいえ。あなたは、佐藤さんが投稿した『ミステリー小説』の右肩上がりのプリント、不自然に長い行間、『リアリティー』、『アンフェア』のフレーズを真似て『ブルームーン探偵団・上巻』を書いた。 それにF大の女子大生が、石堂小学校ミステリー部ではないというのは公表されていないのに何故知っているの?」 「いや、ただの想像さ」 「F大の女子大生は山根さんの妹さん。 最初に殺された林 真由美さんは佐藤さんの腹違いの妹さんでした。 佐藤さんは事件の前に亡くなっていて、犯人じゃないわ。 自分の妹が無残な目に遭って、その仕返しとして山根さんと佐藤さんの妹さんを殺害した。 そうでしょ、高さん」 「何か物的証拠でもあるのかな?逮捕令状でもあれば別だが、僕は仕事があるから失礼する」 高はそう言って、その場を後にしようとした。 「ちょ、ちょっと待って。『ブルームーン探偵団・上巻』の最後に相川さんの妹さんが被害に合う事になってるけど。まだ8才の子供よ。本当に小さな子供にそんなことができるの」 「救いたいなら、佐藤の書いた『ミステリー小説』をよく読むんだな」 高は吐き捨てるような言葉を吐いて姿を消した。 町田は捜査本部に戻り、『ミステリー小説』を何度も読み返した。 五百ページはある長編小説。製本されていない原稿用紙の量は並大抵ではなかった。 証拠物であるし、丁寧に1ページずつ頭に刻み込むように読んだ。食事も摂らずに二日目の夜が明けた。 「海岸が殺害現場になっているけど、どこの海岸かしら」 町田刑事は、福岡市内の海岸をスマホで探した。 「自己顕示欲と被害者意識が強く、文章を書ける人が選ぶ海岸ーーー。最近開発された所かな? そうだ。ここしかないわ」

 

(ブルームーン探偵団・下巻)

町田刑事と平田刑事は正式に事情聴取をする為福博印刷に向かった。高は不在だった。 市営地下鉄の中洲川端駅に列車がついた頃、町田刑事の携帯電話の着信音がけたたましく鳴った。 「もう少しで署に戻るんだから」町田は小さく呟いた。 「はい町田。今署に向かっています」 捜査本部の刑事部長からだった。 「今から西大橋に向かってくれ。死体が発見された。男女2人。直ぐに行け」 見物人とマスコミ、警察関係者をかき分け工事中の柵を越えて、シートを被せられた被害者にたどり着く。 30歳前の男女、カップルだろうと声が聞こえたが、町田は確信していた。 「相川と野田に違いない。とうとうブルームーン探偵団の恨みを完遂させてしまった」 投稿者が存命かどうかわからないが、「ブルームーン探偵団・下巻」の入札金額は、最低価格を上回るところまでは行っていなかった。 町田と捜査本部の刑事全員は、本部の片隅に据えられた十八インチの旧型ブラウン管テレビの前に集結していた。 「容疑者がテレビ局に電話を入れてきた」 「えっ」 「生放送のワイドショーだ」 ブラウン管の中では、番組の司会者と犯人とが、電話回線で直接電話をしていた。 「もう一度確認します。あなたが、『ブルームーン探偵団』の作者で一連の殺人事件を起こした犯人ですね」 「そうです。私が作者です」 至って普通のトーンだ。 「残念ながら、最低入札価格三千万を提示する出版社は現れなかった。なので、私は予告通り殺人を行った」 ーーー高だ。 ーーー高 広紀だ。 ーーー彼はどこだ。 かってはゴミ埋立地と、岩やテトラポッドに囲まれた海岸。今は高級マンションや一戸建てで覆われ変貌したアイランドシティ。 高は、そのアイランドシティの真ん中にある不自然に白い新しい砂浜に立っていた。 海風が多少ドブ臭いが、今日は気にしないでおこう。 その一点を除けば、今日は申し分ないくらいに気分がいい。 「ちょっと待ってください。あなたにとって、人の命とはそんなに軽いものですか!」 携帯の向こうで、司会者ががなり立てているのが聞こえてくる。 「もちろんです。別に私にだけかるいわけじゃない。世の中の全ての人にとって、他人の命は軽いはずだ」 日は随分と傾いた。今日は素敵な夕焼けが見られるだろう。 「二人の命を救いたければたったの三千万積めばそれで済んだ。出版社はきれいごとを並べていたが、黒字が出る数字だった」 「あなたは本当に、幼い子の命を奪おうとするのですか。気は確かですか」 「司会のあなた。そういう安い芝居はいらないよ。世の中から非難されるのが怖いのか」 「あなたは狂っている」 「狂っているいないという議論は無価値だ。君たちから見れば私は狂っているかもしれないが、私から見れば、君たちが狂っている。自分たちの心のありのままを見つめず、認めず、ただきれいごとで、説明臭い、偽りのリアリティに、べったりとまみれているに過ぎない。実に下品でアンフェアな生き方だ」 「待ってください!!」 「どっちが正しいかーーそんな虚しい議論をするつもりはない。今日は、私は、幼い子の命を奪う。この欺瞞に満ちた埋立地の中に夕日にそびえるタワーを目に焼き付けて死ぬだろう。それで、私の書いた『ブルームーン探偵団』は、完成する。現実に観測され、証明されたリアリティに満ちた小説になる」 高はそれだけ言うと一方的に切った。 ワイドショーのスタジオにも、そして捜査本部にも、重苦しい沈黙がのしかかった。 「課長。犯人は、犯行現場を私たちに教えています」 町田だった。 「アイランドシティにある高層マンション『シティタワー』の屋上です。そこから、おそらく子供を突き落とすつもりです」 「おい町田。おまえ、そんな情報をどこからーー」 「今は説明している暇はありません。大至急、所轄署にも連絡を」 間一髪のところで少女は救われた。高は服毒自殺を図り病院で死亡が確認された。 高の自宅と福博出版の家宅捜査が行われた。 だが「ブルームーン探偵団・下巻」に関しての証拠は見つからなかった。 マスコミの報道や週刊誌の記事、それに大衆の想像力が「ブルームーン探偵団」のリアリテイとオリジナリティ、アンフェアを実現させた、下巻だったのかもしれない。

ブルームーンな夜

しばらくぶりに逢う恋人ニ人が、空を見上げて言った。

「今夜はすてきなブルームーンだね。まるできみのように綺麗だ」

「そんな適当なこと言って。でも本当に大きくて、青く輝いてるわね」  

それはまるで、夜空に浮かぶサファイヤだった。  

彼らの心を洗い流してくれそうなほどに美しい。

「知ってる? その昔、月はもっと小さく黄色かったらしいよ?」

「えー、またそんな適当なこと言ってーー」

「ちょっと待って。これは本当のことなんだって」

「これはってことは、つまり私が綺麗だってのは、やっぱり適当だったのね。」

「ち、違うよ! 僕は本当にきみのことを綺麗だってーー」

「うふふ、そんなのわかってるわよ」

「まったく、きみはいじわるだな」  

二人は顔を見合わせると、幸せそうに笑う。  

そしてふたたび、夜空を見上げた。

「こうしてあなたと一緒にいられて、私は本当にしあわせよ」

「僕もだよ。こうして生きていられること、ご先祖様に感謝しないとね」

「そうね。百年前、移住を決断したご先祖様にね」

「しかし皮肉だな。汚染によって絶滅した星が、あんなにも綺麗だなんて!」  

男はひとつ、ため息をついた。  

今二人が立っている大地は、人類が移住した、月。  

そして二人が見上げた青い月は、滅んだガイア(地球)だった。

「ねえ、感傷にひたってるところ悪いんだけど」

「何?」

「もしかして、遠回しに私の心が汚いって言ってる?」

「ーーーーー」  

 

雨上がりのプレゼント

梅雨なんでこんな短編を書きました

 

「あっ、そう言えば、今日の夕日見ました?うろこ雲のキャンパスにオレンジ色がしみ込んで、すごく綺麗だったですよ」 彼はそう言いながら、人通りの少ない夜道の、わたしの少し前を歩いていた。 わたしは何も答えなかった。なぜならーーーわたしは彼が誰だか知らないのだから。 たったの二十三分前にはこうなるなんて想像もしていなかった。いや基本的には、人生の向こう側は、想像通りに進むことはないのだから。彼はわたしの人生ドラマの中に、すでにキャスティング済みだったのかもしれない。 とりあえず、時計を二十三分前に戻してみる。 《ただいま上下線とも運転を見合わせております。運転再開の時刻は、未定となっております。乗客の皆様にはご迷惑をおかけいたしておりますがーーー》 大橋駅ホームでは、五分前から同じアナウンスが流れていた。これで三度めだ。 それにシンクロするように、わたしも心の中で三度目のため息をつき下を向いた。そこに見えたのは、裾が雨で濡れた、 買ったばかりのパンツスーツと汚れたパンプス。それを見て、わたしは四度目のため息をついた。 前日から、つい一時間前まで雨が降り続いていた。そのため、わたしが足止めを食らっている大橋駅と、わたしが降りる駅である雑餉隈駅の間で線路の一部が陥没。復旧までの見通しが立っていない状況となっていた。 このとき、大橋駅のホームのベンチでわたしが考えていたこと、それはーーー何もなかった。正確に言えば、考えることを体が拒否していた。 ともかく、業を煮やしたわたしは大橋駅の改札を出て、タクシー乗り場へ向かっていた。 いつ動くかわからない電車など待っていられなかったからだ。だが、そこで見た光景は、タクシーは一台もないのに待っている乗客が多数という状況。これでは、こちらもいつになるかわからない。 そもそも財布に残った金額から考えるとタクシーを使うのは厳しいということにもっと早く気付けばよかった。 つまり、わたしに残された唯一の選択肢は、歩いて雑餉隈駅に向かうというものだった。 しかし、そこには大きな問題があった。実はわたしが大橋駅に降りたのは初めてだったのだ。 わたしがよく知る雑餉隈駅は、たった二駅しか違わないのだが、雰囲気がまるで違っていた。副都心としてフォーマルに近代化された街、大橋。古い二階建ての個人商店が並ぶ、下町を代表する雑餉隈。 その雰囲気の違いにわたしは見事なまでにオドオドしていた。 もちろん進むべき方向くらいはわかる。どう行けばいいのかまるで見当がつかなかった。だが、人はこういう場合、なぜか皆、同じように考える。 《たったふた駅だ。とりあえず線路を目印に行けば大丈夫だろう》と。 例に違わず、わたしもその線路が見える道を踏み出した。 が、わたしの物語がおかしくなり始めたのは、ここからーーー 踏み出した右足が地面に着く一歩手前で私の後ろから声がした、この瞬間からであった。

「あのーー」 わたしは体をビクッと震わせた。 それはまるで怯えたリスのようであった。そして、ゆっくり、慎重に振り返る。 そこにいたのは、エナメルの青いスポーツバッグを斜め掛けにした男子高校生だった。散髪したばかりなのだろうか、髪は短髪で、爽やかな今時の若者だった。そして、そのバッグには、《T高校 庭球部》とかかれていた。 十九歳の誕生日を迎えたばかりのわたしより、2、3歳若いだろうか。 彼はーーーいったい誰? わたしには彼が誰だか、心の引き出しをすべて開けてもわからなかった。 そんなわたしの疑問など無視し、その謎の男子学生は言葉を続けた。 「ーーーもしかしてですけど、井尻駅雑餉隈駅まで歩いていくんですか?」 「え、あーー、はい」 「やっぱりだ」 彼はそう言って子犬のように笑った。その狂おしさにも似た無邪気さが、わたしをいっきに不安にした。 「えっと、えっと、失礼します!」わたしはその場を立ち去ろうとした。 「あ、余計なお世話ですけど」と謎男子がそれを止め、言葉を続けた。 「この道を進んでも、行き止まりですよ」 「え?」 「まあ、正確に言えば、外環状線が交差しているので、歩道が途切れます。それから交通量の多い道路に出るんで、夜歩くには、かなり危険ですよ」 わたしは、ただ瞬きの回数が増えていた。 それを気にすることなく、謎男子は線路を挟んだ右側を指差した。 「もし雑餉隈駅まで歩いていくなら、少し遠回りになりますけどーーーあそこの右の道、見えますか?」 「あ、うん、じゃなかった、ええ」 「徒歩で行くなら、その道に沿って線路をくぐる様に行った方が、遠回りに見えて一番の近道です」 「え、あ、そのーーーありがとうございます」 「よかったら、僕もこれから雑餉隈駅に向かうんですけど、一緒に行きます?」 わたしは耳を疑った。どこをどうつながってそういう言葉が出たのかまるで理解できなかったからだ。しかし、それ以上に理解できなかったことはーーーその三分後、つまり今に戻るわけだが、わたしは、その謎男子の一メートル後ろを子供のようについて歩いていたのだ。 これがこの二十三分で起きたことすべて。そして現在、謎男子は小気味好いスピードで歩を刻み、わたしはただそれについて行き、雑餉隈駅を目指すという状況が生まれていた。 わたしはふと空を見上げていた。そして、なぜだかこんなことを思った。 《あの星のうちひとつでもいいから地球に落ちてきて、この世界が終わればいいのに》と。 しかし、実際に落ちてきたのは、星ではなく、予想外の言葉であった。 「ーーー好きなんです」謎男子が言った。 「ーーーえ?」 「この雨上がりの匂いが好きなんです」 「あっーーー、雨の匂い」 「ええ、雨が上がったあとって、いろいろな匂いが鮮明になって、全部リセットされて、なぜか心がすごく落ち着くんです。 まあ、他のやつらには全く共感されないんですけど」 不思議なことにわたしはそれに共感していた。 《雨の匂い》の部分ではない。自分の好きなものが《他人から共感されない》という部分にわたしは共感していた。

「突然なんですけど、幸せになる言葉って何か有ります?」と彼が言った。 「幸せになるーーー言葉?」 「そう。僕にとっての雨上がりの匂いじゃないけど、この言葉が好き、とか、こういう状況がテンションが上がるみたいなやつです」 「そ、そんなこと急に言われても」 「僕の場合だと、花火とか、ロサンゼルスとか、あと、割り箸」 「わ、割り箸?なんで?」 「ほら、割り箸をパッと割ったとき、綺麗に割れると、なんか幸せな気分になりませんか」 「あ、確かに。意外にわかるかも」 「でしょ?」 そのあと、数秒の沈黙が訪れ、パズルピースが一気に埋まっていくような感覚に襲われた。 そして気付けばーーーわたしは笑っていた。 それにワンテンポ遅れ、彼も笑っていた。なんだか久しぶりに笑った気がした。こんなに笑ったのがいつぶりか、思い出せないほど久しぶりすぎて、まるで生まれて初めて笑った気がした。 それからほどなくして、今度は二人の間に言葉がなくなった。 打って変って謎男子は何も言葉を発しなくなった。 彼は女性のことはよく知っている。わたしはそう思った。 女性は心が揺れた時、それを体に行き渡らせ、幸せに変えるだけの時間が必要になる。 それは数秒の時もあるし、まだ出会ったことはないが、一生かけて変換するものもあるだろう。 そして、その変換を行うための、静けさが、わたしの一番好きなものであった。 私は基本、一人でいることが好きだ。一人の時間を愛している。ただ、今夜は、二人で好きなものを共有するとこんな気持ちになることを初めて知った。 しかし、その静けさは徐々に消えていく。そして、それと反比例するように、見覚えのある景色が、目の前にひとつひとつ確実に増えていった。街灯の明るさが増し、はっきりと雑餉隈駅が見えてきた。 そして、あと数十メートルでゴールというところで、謎男子が言葉を発した。 「ーーースイマセン」 「え、何が?」 「ほら、あれ」 彼は駅の方向を指差した。 そこには雑餉隈駅に到着する電車が見えた。 「結局、運行再開を待っていたほうがよかったですね。僕のせいで歩かせてしまって申し訳ないです」

 

「え、そんな、全然!その、なんて言うか、わたしも楽しかったって言うかーーー」 その言葉を聞いた瞬間、わたしには彼が小さく頷くのが見えた。 ほどなくして、二人は雑餉隈駅についた。 おかしなことだらけではあったが、終わるとなると、終わることが不自然でおかしなことに思えた。 そして、ずっと見つめていた謎男子の背中が消え、彼の表情がわたしの目の前に飛び込んできた。 「じゃあ、僕はこれで」 彼は振り返り、そう言った。 「あ、うん。ありがとう」 わたしは小さくうなずいた。 「そう言えば、家は駅の近くなの?」 「いえ、全然、大橋駅の先、高宮駅の近くです」 「え?高宮駅?じゃあ、なんでーーー」 「特に理由はありません。ーーーーってことにしておいてください」 「え、あ、うん」と返すのが、私の精一杯であった。 「あ、そうだ、帰りは電車で帰れば?わたしが電車賃出すよ」 「大丈夫です。三年前初めてあなたを見たときから、ずっと好きだったんです。 あなたとそれから会えなくてーーー。 初めて好きになった人と、初めて二人で歩いた道をーー その人が大好きな静けさを感じながら、また歩いて帰りますから」 そう言って彼は振り返り、今夜ずっと見続けた彼の背中が再び目の前に現れた。 彼は一度も振り返らなかった。 最後まで、彼がどこの誰なのかわからなかった。 もしこれが誰かが書いた物語なら、わたしと彼と、またどこかで出会ったり、 これがキッカケで恋人同士になったり、究極、彼と将来結婚したりするかもしれない。 しかし、実際はこの後、彼とわたしは二度と会わないだろう。 わたしにはそんな時間が残されていない。 なぜなら明日からもう何度目かわからなくなってしまった、九州ガンセンター白血病棟での病院生活に戻らなければならない。 そして今度こそ、そこから出ることはできないだろう。 彼はわたしの物語の最後にわずかに光を与えてくれたが、彼でもわたしにかけられた魔法を解くことはできない。 でも、これが何かしら意味のあるメッセージなのだとしたら、本当に何もなかったこれまでのわたしの物語を読んでくれた、誰かがくれたプレゼントなのかもしれない。 今夜は、この奇跡のような時間ーーー あの彼と同じようにどこの誰かもわからない私の読者から最後に頂いた、 そのプレゼントをゆっくり抱きしめて眠りたいと思う。